Archive for category 「ネットワーク」

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その2)

すべてに功罪があるからこそ、検証はないがしろにするべきではない、と思っている。
けれど、そのことと誰かの死を、
匿名で不特定多数に向って、喜ぶという行為は、おかしい。

菅野先生に否定的、批判的な人がいるのはわかっている。
私にしても、長岡鉄男氏には、はっきりと否定的、批判的である。

長岡教の信者からすれば、
私などは長岡鉄男氏のことを全く理解していないヤツ、ということのはずだ。

それに長岡教の信者にとって功と認識していることが、
私にとっては罪と認識していたりすることだろう。

そんな私でも、長岡鉄男氏が亡くなったのを喜びはしなかった。
これは誇ることでもなんでもない。
人としてあたりまえのことでしかない。

にも関らず、真逆の人(救いようのない人)がオーディオの世界には少なからずいる。
そんな人(人といっていいだろうか)は、どんな音でどんな音楽をきいてきたのか。

Date: 10月 21st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(菅野沖彦氏のこと・その1)

岩崎先生、五味先生、瀬川先生が亡くなられたころと、
いまとではインターネットの普及、それにSNSの普及、スマートフォンの普及がある。

井上先生は2000年12月だった。
インターネットは普及していたけれど、SNSは……、スマートフォンは……だった。
いまは誰でもが手軽に、感じたこと、思ったことを公開できる世の中だ。

菅野先生が亡くなられたことで、多くの人がブログ、SNS、掲示板に書いていることだろう。
中には喜ぶ人もいるだろうから、私は検索することはしなかった。

なので、どんなことが書かれているのかは、ほとんど知らない。
ただおもうのは、菅野先生と会ったことのある人、
さらには菅野先生の音を聴くことができた人は、きっと書いている、と思う。

それは傍から見れば、自慢にしかうつらないかもしれない。
私も書いている。

けれど自慢したいわけではない。
菅野先生の音を聴いている人ならばわかってもらえようが、
菅野先生の音を聴くことが出来た人は、オーディオマニア全体からすれば、
割合としてごくわずかであろう。

幸運にして聴けた、と書いている人もいるかもしれない。
たしかに幸運といっていい。

だからこそ、聴くことがかなわなかった人のためにも、書かなければ──、とおもう。
そうおもって書いている人は多い、とおもう。

Date: 10月 10th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・ある誘い)

facebookの友達申請。
私は、オーディオ好き、音楽好きということがわかれば、
面識のない方からの友達申請であっても、メッセージがなくとも承認している。

面識のある人のみ、としている人、
顔写真がプロフィールにあって、メッセージを送ってくること、など、
承認するかどうか、人によって違う。

SNS(Social Networking Service)を、
SES(Social Experiment System)ぐらいに捉えている私は、
そんなこまかなことはいわずに、ほぼ全員承認するようにしている。

なので、まだ一度も会ったことのない人のほうが多い。
そういう人は多い、と思う。

今日、facebookでつながっている人(面識はない)から、
facebookの機能を介しての電話があった。

あるお誘いの電話だった。
たいへん興味深い誘いであった。

SESと思っているくらいだから、本格的な冬が来る前に大阪に行くことにした。

Date: 10月 2nd, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その7)

facebookで、毎月第一水曜日にやっているaudio wednesdayは、オーディオクラブか、というコメントがあった。

私はそう思っていない。
けれど、私自身、どこかのオーディオクラブに属していたことがない。
なんとなく、こんな感じなのか、と、オーディオクラブのこと想像しているにすぎない。

その想像するところと違うから、そう思っていない、と答えたけれど、
質問された方にしてみれば、納得のいく答ではなかったかもしれない。

facebookにいくつも出来ているオーディオ関係のグループは、
特に、オーディオとかオーディオマニアと名乗っているグループは、
オーディオクラブとははっきりと違う。

まず参加している人の数が多い。
多いところは二千人を超えている。
そこに参加している人の中には、直接会ったことのある人もいるはずだが、
大半はfacebook(SNS)上でのつきあいではなかろうか。

そういうのを、オーディオクラブとは呼ばない。
facebookでのオーディオ関係のグループで、比較的クラブ的といえるのは、
小口径のフルレンジユニット関係のグループとか、
ヴィンテージJBLとか、対象を絞ったグループの方だろう。

それでもオーディオクラブだ、とは私は思っていない。

audio wednesdayは、どうなのか。
毎月定期的に集まっている。
ときおり初めての方も参加されるが、常連の人たちがいる。
といっても大勢の集まりではない。
こぢんまりした集まりであり、
その点は、オーディオクラブ的に、外からは見えるかもしれない。

毎月第一水曜日に集まって、音を四時間ほど聴く。
何が、私が想像しているオーディオクラブと違うのだろうか。

Date: 10月 1st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その6)

昔は(といっても30年くらい前か)、オーディオクラブというものが、
全国にいくつもあった。

ステレオサウンドにも、52号のスーパーマニアに、郡山のワイドレンジクラブが登場している。
64号からの連載「素晴らしき仲間たち」は、そういうオーディオクラブを取材している。

私の周りにはそういうオーディオクラブはなかったので想像で書くのだが、
オーディオ店の常連の人たちが集まってのオーディオクラブなのだろう。

一つのオーディオ店に一つのオーディオクラブというわけでもなかったかもしれない。
そのオーディオ店でも、JBLのスピーカーを好む人たちもいれば、
イギリスのBBCモニター系列を好む人たちもいただろうから、
いくつかのオーディオクラブができあがっても不思議ではない。

1975年のダイヤトーンの広告には、
ダイヤトーンの故郷 郡山へご招待!
ダイヤトーン 1日ブレーン募集、というのをやっていた。

応募方法に、所属しているオーディオクラブ名、とあり、
各オーディオクラブから二名の5クラブで計十名を、十回にわたって百名を招待する企画だった。

いまオーディオクラブというのはあるのだろうか。
この時代からずっと続いているオーディオクラブはあるのだろうか。

別項でも書いているように、ステレオサウンドに登場したオーディオクラブのいくつかは、
1980年代に解散してしまっている。

新しいオーディオクラブが生れなければ、数は減っていくだけだ。

いまはSNSがある。
facebookには、グループ機能というのがあり、同好の士が集まれる。
オーディオ関係のグループは、いくつかあるんだろうか。
オーディオとかオーディオマニアという名のグループもあれば、
アナログディスクに絞ったグループ、真空管、JBLの古いモデル、
ウェスターン・エレクトリック……、とにかく細分化されたグループも増えてきている。

私は、audio sharingというグループをやっているし、
あとは海外のDIYのグループには参加しているが、
それ以外のオーディオ関係のグループには参加していない。

かなりの人が参加しているオーディオグループはある。
けれど、それが以前のオーディオグループにあたる集まりかといえば、
そうではないはずだ。

Date: 9月 8th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その15)

毎月第一水曜日に四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記で行っているaudio wednesdayでは、
ネットワークは、私が作った直列型6dBスロープである。
この日以外は、コイズミ無線製の12dBスロープ(並列型)で鳴っている。

ここ数回、この自作ネットワークで鳴らしてきて、いい感じだと思っている。
それでも、9月のaudio wednesdayは、まったく不安がないわけでもなかった。

メリディアンのULTRA DACを持ってきたら、どうなるのか。
たぶん、自作ネットワークがいいとは思っていても、
音ばかりは実際に聴いてみないことにはわからないところがある。

ULTRA DACを組み込んだシステムは、一点豪華主義となる。
ULTRA DACの価格と、喫茶茶会記のシステムのトータル価格は、前者の方が高い。

いわゆる情報量において、ULTRA DACは優れている。
メリディアンはDSP内蔵のアクティヴ型スピーカーシステムの開発にも積極的である。

そこにホーン型、直列型ネットワークといった組合せのスピーカーである。
予測できないことが起きても不思議ではない。

こればかりは、最初の音が鳴ってくるまで、内心ドキドキしている。
結果は別項「メリディアン ULTRA DACを聴いた」で書いている。
(その13)で書いているように、一部を銀線にしていることもよかったのかもしれない。
少なくとも、入力機器を最新のモノとしても、直列型ネットワークの良さは活きている。

むしろULTRA DACの前に、直列型にしておいてよかった、とさえ思いはじめている。

Date: 8月 5th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その14)

かなり以前からいわれているノウハウ的なことので、
古くからスピーカーユニットを組み合わせてシステムの自作に苦労してきた方ならば、
それもコーン型ウーファーとホーン型のトゥイーター、スコーカーという組合せならば、
私が書くことは、いわば常識といえることである。

それでも、いまでは知らない方も少なくないようだから書いておく。
このことはステレオサウンドでも、菅野先生、井上先生が発言されたり書かれている。

例えばウーファーもスコーカーもトゥイーター、すべてコーン型で、
振動板の素材も同じというのであれば、
ネットワークの苦労はかなり減る、といえる。

ところがコーン型とホーン型とでは、そうはいかない。
それぞれのユニットからの音色に違いがありすぎる。

結局、クロスオーバー付近の音を、いかにうまく抜くか、である。
つまりウーファーのカットオフ周波数と、
トゥイーター(スコーカー)のカットオフ周波数を、離すわけだ。

うまく抜くことで、それぞれのユニットの音色がうまく混じり合ってくれることがある。

以前試した直列型ネットワークでは、このことはやっていなかった。
まずは喫茶茶会記のシステムでの直列型ネットワークの音を確かめたかったからで、
コイズミ無線製のネットワークとの比較、
さらにコイズミ無線製のネットワークに手を加えた音との比較を元に、
今回(というか今年になって)の直列型ネットワークは、あいだを抜いている。

抜く(離す)といっても、どのくらいにするのかは、音を聴いて判断することであり、
一概にこのくらいとはいえない。

それにスロープ特性も関係してくることだし、その他の要因も無視できない。
無責任のようだが、カット&トライしかない。

今回は直観で決めている。
うまくいっているようだ。

もちろん、もっといいコイルの値、コンデンサーの値はあろう。
でも、いまはそれを追求する前に、いくつかやっておくことがある。

Date: 8月 5th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その13)

その8)で書いたことを、先日のaudio wednesdayでは試した。
audio wednesdayでは、6dBスロープの直列型ネットワークを使っている。
audio wednesday以外では、コイズミ無線製の12dBスロープのネットワークである。

スロープ特性も違うし、並列型と直列型の違いもあり、パーツも違う。
それに直列型であっても、スピーカーの教科書に載っている結線とは、また少し違う。

これだけ違うのだから、二つのネットワークの音はずいぶん違う。
audio wednesdayでは、もうコイズミ無線のネットワークに戻すことはない。
いま使っている直列型ネットワークには、それだけの手応えを感じている。

自宅のシステムなら、音を聴いて駒かな変更も加えていけるが、
なにしろ自分のシステムではなく、月一回だけの音出しだから、
いわば一発勝負で、コイル、コンデンサーの値は決定している。

これらパーツの配置にしても、これでいこう、という感じで決めている。
ほんとうは、これらを含めて、音を聴きながらじっくり検討を加えたいところだが、
一発決めにしては、まぁ、うまく鳴っている、と感じている。

それでもあれこれいじりたいわけで、
8月のaudio wednesdayで、少し変更を加えた。
直列型ネットワークではトゥイーターとウーファーを一本のワイヤーで結ぶ。

具体的にいえばアルテックのドライバーのマイナス端子とウーファーのプラス端子を結線する。
ユニットを、このように直列接続するから直列型ネットワークである。

ここを銀の単線に変更したのが、先日のaudio wednesdayでの音である。

Date: 7月 31st, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その16)

この二人が主宰するメーカーは、どちらも規模は小さい。
社員が大勢いる大企業ではなく、それぞれの人のいうことが、
そのメーカーの主張するところである。

この二人のメーカーの人は、オーディオ評論家を、
自分たちの代弁者であってほしい、と思っているのではないか。
だから、あれほど喜んだとしか思えない。

その意味で、そのオーディオ評論家はオーディオ評論家(商売屋)としてプロであった、ともいえる。
けれど読者が求めているオーディオ評論家は、
オーディオ評論家(職能家)ではないのか。
少なくとも私はオーディオ評論家(職能家)がいてほしい、と常々思っている。

けれど、オーディオ評論家(商売屋)のほうかわかりやすいと思っている読み手もいるようだし、
メーカー側の人たちが、少なくともこの二人はそうである。

メーカーにとってオーディオ評論家(商売屋)はそれでいいが、
オーディオ評論家(職能家)は、
メーカーの人たちが気づいていないところを指摘するのも仕事である。

それは欠点でもあるし、製品がメーカーの試聴室から市場に出た時に生じる魅力、
メーカーの人が気づいていない価値を指摘するのも仕事だ、と私は考えている。
そこに気づいたメーカーの製品だけが商品となっていくのではないのか。

二人のメーカーの人は、自分の賛同者、代弁者が欲しかった。
それはオーディオ評論家(商売屋)こそが得意とするところでもある。

今回のモニター機に関するいざこざは、個人ブロガー(オーディオマニア)に、
そんなオーディオ評論家(商売屋)と同じことをメーカー側が求めていたことも、
原因のひとつなのではないか。

メーカーと個人ブロガー、どちらか一方にだけ非があるようには思えない。
自分にとって都合のいいことしか求めなくなっている──、
そんな空気が、いまのオーディオ界の現状のような気もする。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その15)

モニター機の評価に関するいざこざは、メーカー側の求めることにもあったのではないだろうか。
今回のメーカーが、どういうことを個人ブロガーに求めていたのかははっきりしないが、
個人ブロガーをふくめてオーディオマニアを、
自社の広報マンの代理として考えていた可能性はあるように感じている。

もう十年近く前になるが、
あるメーカーのある製品が、オーディオ雑誌に取り上げられた。
あまりこのメーカーの製品は雑誌で扱われることはない。
高い評価を得ていた。

その後で、そのメーカーの人と話す機会があった。
彼はすごく喜んでいた。
そうだろう、と思ったけれど、そのあとに彼の口から出た言葉を聞いて、
少し考えさせられた。

これと同じことがfacebookでもあった。
別のメーカーの、ある製品を、とあるオーディオ評論家が評価していた。
そのことをこのメーカーの人も喜んでいた。
二人の喜び方は、同じに見えた。

つまり彼らが伝えたいことを、すべてオーディオ評論家が伝えてくれたからである。
だから、彼らは、○○さんはいい評論家だ、といっていた。
最初のメーカーを評した人(二人)とあとのメーカーを評した人(一人)は、
一人だけが同じ人である。

二人のメーカーの人が喜んでいるのは、そういうこと(レベル)なのか、と思った。
そのぐらいのこと、オーディオ業界で飯を食っている人にとっては、
さほど難しいことではない。

そういう評論家は、メーカーにとってはありがたい人であろうが、
読者にとっては、いい評論家といえるだろうか。
もっといえばメーカーにとっても、いい評論家とはいえないはずだ。

そこに、二人のメーカーの人は気づいていないようだった。

Date: 7月 30th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その14)

モニター器の評価を巡る個人ブロガーとメーカーのあいだでの意見の対立は、
それほど大事にならずに収束したようだが、
場合によってはメーカー側が、もっと強気にでることだって十分考えられる。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(試聴における再現性の重要性)』と同じになるかもしれない。

メーカー側の人たちが、
個人のリスニングルームに来る可能性がまったくない、と言い切れるだろうか。
よほどのことがないかぎり、そんなことはありえないだろう。

それでもモニターしたオーディオマニアの言動が、
モニター機を貸し出したメーカー側からすれば、限度を超えていれば、
そういう可能性だって、これからは出てこよう。

そこで問題になるというか、オーディオマニアに絶対的に求められるのが、
再現性である。
くり返しになるから、簡単に書いておくが、実験の再現性である。

モニター機を聴いたときと同じ状況を再現できなければ、
メーカー側の人たちを納得させられるわけがない。

前回、聴いた時はこんな音ではなかった、
ほんとうにブログに書いた通りの音がしていた、と口で説明したところで、
そこには説得力はまったくない。

そういう評価に至った音をきちんと再現して、メーカー側の人に聴いてもらう。
そんなこと簡単だよ、と思っているような人は、やらないようが賢明だ。

この再現性の難しさをわかっている人ならば、モニター機の評価をやるのもいいだろう。
そして、どの程度の再現性なのか、それがその人のその時点での実力であり、
その実力の範囲内での評価に留めておくべきだ。

モニター機を借りて、試聴してその感想をメーカー側だけに伝えるのと、
インターネットで不特定多数の人に向けて公開するのとでは、
まるで違うということをわかっておく必要がある。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その13)

私は基本的にインターネットにあふれている試聴記は、まったく信じていない。
というよりも、ほとんど読まない。

それは匿名で書かれたものはもちろんのこと、本名で書かれたものに関してもだ。
インターネットだから本名とこちらが思っているだけで、偽名の可能性だってある。

だからといって、オーディオ雑誌に掲載されている試聴記を信じているわけでもない。
こちらも、もうまったく読まなくなった。

それは私がそうであるだけで、他の人がそうであるわけではない。
だからこそメーカーはモニター機をオーディオマニアに貸し出して、
その試聴記を書いてもらおうとするのではないのか。

ようするにインターネット、SNSによる口コミを販売促進に役立てたいからなのだと思う。
その9)で紹介している個人ブロガーとアクセサリーメーカーとの、いわゆるトラブル(ゴタゴタ)は、
そういうところから起ったことのようにも思える。

個人ブロガー、アクセサリーメーカー、どちらの側につくことはしないが、
私がメーカー側の人間だったら、少なくともtwitter、ブログを匿名でやっている人には、
モニター機を貸し出さない。

モニター機を貸し出す際には、相手の名前、住所、電話番号は聞いている。
匿名でなくとも、偽名でブログやSNSをやっているのかどうかも、そこでチェックできる。

他社製品との比較は困る、とか、株価が下がったら……、そんなことをいうのであれば、
最初から匿名でやっている人には貸し出さないのがいいように思う。

匿名でやっている人すべてが信用できない人とはいわないが、
モニター機に関しては、本名で試聴記を書くのが最低限のルールというかマナーだと思う。
そう思うのは、もう古い考えなのか。

モニター機を借りて、気になる点を感じたり見つけたりしたら、
それは直接メーカー側に伝えればいいことだ。
それが致命的な欠点だとしたら、試聴記を書かない、という選択肢もある。
そして、なぜ書かなかったか、という理由も含めてメーカー側に伝えればいい。

それではブログやSNSを読んでくれている人に、
正確なことを伝えられない、と、そんな人はいうかもしれない。

でも、それはその人が感じた欠点でしかなく、
実際のところ、ほんとうに欠点といえるのか甚だアヤシイ。

使い方、使っているシステムとの相性、
それにその人の聴き方など、そんなことが綯交ぜになっての結果としての音。
それを聴いての欠点と感じただけであって、
別の人が聴いたら、そうでないことがあるのは、オーディオマニアなら経験しているはず。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その12)

いくつかのオーディオ雑誌で、本業を他にもっている人がオーディオ機器の試聴をやっている。
この人たちは、自身のことをオーディオ評論家と思っているのか、そうでないのか。
オーディオライターという認識なのか、そのへんはどうなのだろうか。

耳がいい人、ある程度の文章が書ける人ならば、
そういう仕事をやれる。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(わかりやすさの弊害)』で、
書き始めたこと、書こうとしていることと関係してくるのだが、
耳がよくて、そのディスクのある部分がどういうふうに鳴ったのかを文章にできても、
それが優れた試聴記なわけではないし、オーディオ評論ともいえない。

けれど、実際にはそういう試聴記が増えている、というか、主流になっているように、
昔からのオーディオ評論、試聴記を読んできた私は、そう感じている。

そんなふうに感じると同時に、インターネットの普及で、
それならば、オレにだってできる、と思う人が、
自ら発信するようになってきたことと連動しているようにも感じている。

以前はウェブサイトを作るのも、多少面倒だった。
サイトを作っても日々更新していくのも、面倒といえば面倒なところがあった。
それをブログはほとんど解消してくれる。

私がこうやって毎日更新していけるのも、ブログだから、というところは大きい。
基本、文章を書くだけでいいのだから、楽である。

だからこそ多くの人が発信するようになってきたのだろう。
そこに、オレにだってできる、が加わっているのが、現状のような気もする。

聴いて書く。
そこに、聴くことの難しさ、書くことの難しさがあるのだろうか。
さらには聴くための難しさ、書くための難しさはあるのだろうか。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その11)

それまでの専業オーディオ評論家から兼業オーディオ評論家への移行。
当時、早瀬文雄氏と何度か話している。

早瀬文雄氏は、兼業オーディオ評論家を増やしていくべきだ、と強く主張していた。
それがオーディオ界を健全にする、というのは同意するけれど、
実際にすべてのオーディオ評論家が兼業評論家となったらどうなるか。

1980年代後半は、CDプレーヤーが登場して数年、DATも登場していた。
デジタル技術はオーディオの世界に、それまで以上に入ってくることは誰の目にも明らかだった。

オーディオに関する技術は、デジタルの信号処理だけでなく、
他の技術においても、ますます高度に、複雑になっていくであろう。

それにオーディオ評論家が対応しているには、兼業では難しい──、
というのが私の意見だった。

兼業オーディオ評論家が増えていくのはいい。
けれど専業オーディオ評論家がいなくなったら、
専業オーディオ評論家が担当していたところまで兼業オーディオ評論家がやることになる。
そうなってしまうと本業がおろそかになってしまう。

兼業だったつもりが、いつのまにかオーディオ評論が本業になってしまうことだって考えられる。

兼業オーディオ評論家は、専業オーディオ評論家がきちんと役割を果してくれることで成り立つ。
なのに専業オーディオ評論家のレベルは、一部で低下しつつあった。

そこまでひどいレベルの低下ではなくとも、ステレオサウンドに書いている人でも、
次の世代と呼ばれていた人たちは、その上の世代と比較すれば……、
という点は否定できなかった。

Date: 7月 25th, 2018
Cate: 「ネットワーク」
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オーディオと「ネットワーク」(モニター機の評価・その10)

ずっと以前のオーディオブームのころは、
なりたい職業のひとつにオーディオ評論家も入っていた、らしい。

オーディオ機器の音を聴いて、試聴記を書いたり話したりすることで収入を得ることができる。
おもしろそうな仕事だと思った人も、
楽そうな仕事、自分にも出来そうな仕事と思った人もいるんだろう。

いまはどうなんだろうか。
何かの仕事についている人が、
副業のようなかたちでオーディオ雑誌に試聴記を書いてたりする。
これも、一般的にはオーディオ評論家となろう。

私がステレオサウンドにいた1980年代も、
専業オーディオ評論家よりも、
兼業オーディオ評論家を積極的に育てるべきではないか、という意見があったし、
編集部内で話題になったこともある。

すでにオーディオは斜陽産業といわれていたことも関係している。
1986年ごろからステレオサウンドに登場した早瀬文雄氏は、このケースにあたる。
眼科医という仕事をもった上でのオーディオ評論という仕事をする。

うまくいくかのように思えた。
結果がどうなったのか、このころのステレオサウンド、
それからCDジャーナルの音楽出版が出したリッスン・ヴュー(のちのサウンドステージ)、
それから2000年代のステレオサウンドを読んできた人ならば知っていよう。

そうなってしまった理由はひとつではない。
こまかな理由までひとつひとつ取り上げることはしない。

ただいえるのは、専業オーディオ評論家がいるから、
兼業オーディオ評論家が成り立つことである。