オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その2)
(その1)へのコメントがfacebookにあった。
SNSには、ミュート機能、フォロー解除などができるようになっている。
いわゆるマルチポストを読みたくなければ、そういう機能をうまく使えば済むことである。
ミュート機能は、特定の人の投稿をミューとしていることは、相手側にはわからない。
なので、マルチポストを頻繁にする人の投稿に対してミュートすればいいだけの話だ。
見たいもの、読みたいものだけを読む、
見たくないもの、読みたくないものは読まない、
そうすることが可能なのもSNSである。
わかっているから、マルチポストをする人がいても、どうでもいい、という気持がある。
けれど、それが音楽、オーディオに関することとなると、
私の場合、話は違ってくる。
思っていること、考えていることを書く、という行為、
それを誰かに読んでもらうために公開するという行為は、
選択から始まっている、と考える。
最初の選択から始まって、次から次へと選択していく。
特に意識していない人もいるかもしれないが、
何かを書いて公開する、ということはそういうことだ、と私は考えている。
これは私の考えだし、誰かに押しつけようとは思っていない。
その人の考えで書いて公開すればいい。
マルチポストしたい人はすればいい。
マルチポストするということは、どういうことなのかを、
「選択」ということで考えてほしい。
そこで選択を放棄している、と私は見る。
いや、多くの人に読んでもらいたいから、という選択からのマルチポストだ──、
そんな反論が返ってきそうだが、それは、もう選択ではない、と私は思っている。
マルチポストをする人は、こういうことはどうでもいいことなのだろう。
それでも、音楽をオーディオを介して、しかも少しでもいい音で聴きたい、と願うことは──、
それをかなえていくためにはやらなければならないことは──、
こういうことを考えていけば、選択のもつ意味の重さが実感できるはずなのに……、と思う。
結局のところ、マルチポストをする人は、これからもしていくだろう。
それを止めようとは思っていない。
好きにやればいい。
私は、というと、(その1)で書いているように、
音楽のこと、オーディオのことを平気でマルチポストする人とは、
音楽、オーディオについて語らないようにするだけだ。