Archive for category LNP2

Mark Levinsonというブランドの特異性(その2)

1972年に、アメリカでLNP2は誕生している。バウエン製モジュール搭載のLNP2である。

アンプ・モジュールはエポキシ系と思われる樹脂で固められているので、中身がどうなっているのかは、
回路構成を含めて、当時は一切わからなかった。

ステレオサウンドにいたとき、ジョン・カールにインタビューしたことがある。
80年代にはいりディネッセンのJC80を出し、
その数年後の、ヴェンデッタ・リサーチからSCP1を発表したばかりのころだ。

このときバウエン製モジュールについて、すこしだけ教えてくれた。
回路の中心はOPアンプで、性能向上のため、いくつかのパーツが使われている、とのことだった。
おそらくOPの前段にFETによる差動回路の追加か、
出力にバッファーアンプを設けたのか、もしくはその両方か。

マーク・レヴィンソンは、バウエン製モジュールにOPアンプが使われていることが、大きな不満だったらしい。
そのためだろうか、性能も音質に関しても、完全には満足しておらず、
そのためジョン・カールに、バウエン製モジュールと互換性があり、
より高性能で高音質の、自社製モジュールの設計を依頼した、とのことである。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: KEF, LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その2)

FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた
瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、
パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。

LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。
2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、位相干渉による音像の肥大を防ぐために、
3kHz以上では、1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。
そのまま鳴らしたのでは高域のレスポンスがなだらかに低下してゆく。
そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。
専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、
瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。

いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。
その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。

もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。
おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。
さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。

これらがうまくいったのかどうかはわからない。

瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、
このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。
だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。

LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その1)

「なぜ、これだけなの?」と思ったのも、ほんとうのところである。 
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
瀬川先生の愛機のLS5/1A、LNP2L、A68を見た時に、
そう思い、なんともさびしい想いにとらわれた。 

それからしばらくして、4345がどこに行ったのかをきいた。
それでも、なぜ、これだけなのか、と当時はずっと思っていた。 

けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
瀬川先生にとっての愛機だったのだということである。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: LNP2, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その7)

オーディオ機器との出会いには、幸運なときもあれば、
そうでないこともある。

たとえば瀬川先生とマーク・レビンソンのLNP2との出会い。
瀬川先生は、LNP2との出会いについて、次のように書かれている。
     *
彼(註:山中敬三氏のこと)はこのLNP2を「プロまがいの作り方で、しかもプロ用に徹しているわけでもない……」と酷評していた。
 ところで音はどうなんだ? という私の問いに、山中氏はまるで気のない様子で、近ごろ流行りのトランジスターの無機的な音さ、と一言のもとにしりぞけた。それを私は信用して、それ以上、この高価なプリアンプに興味を持つことをやめにした。
 あとで考えると、大きなチャンスを逸したことになった。
 74年夏のことである。
 75年になって輸入元が変わり、一度聴いてみないかと連絡があったときも、最初私は全く気乗りしなかった。家に借りて接続を終えて音が鳴った瞬間に、びっくりした。何ていい音だ、久しぶりに味わう満足感だった。早く聴かなかったことを後悔した。それからレビンソンとのつきあいが始まった。
     *
早く聴かなかったことを後悔した、と書かれているけど、
ほんとうにそうだろうか。
瀬川先生自身、気がつかれてなかったのか。

山中先生が「無機的な音さ」と言われたLNP2は、
シュリロ貿易がサンプル輸入したモノで、 岡俊雄先生が購入されたモノ。
つまりバウエン製モジュール搭載のLNP2である。
一方、75年になって、RFエンタープライゼスが輸入したLNP2、
瀬川先生がはじめて聴かれたLNP2は、
ジョン・カールの設計によるマーク・レビンソン製のモジュール搭載になっている。

もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれていたら、
瀬川先生はどういう反応をされただろうか。

岡先生は、LNP2が製造中止になったときに、ステレオサウンド誌に、
LNP2物語を書かれている。
この記事でもそうだし、過去に何度か発言されているが、

岡氏は、マーク・レビンソン製モジュールのLNP2よりも、
バウエン製モジュールのLNP2を高く評価されている。

岡先生と瀬川先生の音の嗜好の違い、捉え方の違い、ひいては再生音楽の聴き方の違いは、
1970年代のステレオサウンド別冊に掲載されている
岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹、三氏の鼎談を
読んだことのある人ならば、ご存知のはず。

勝手な推測だが、
もし瀬川先生がバウエン製LNP2を聴かれていたら、
山中先生と同じような感想を持たれたことだろう。

山中先生の言葉を信用してバウエン製LNP2に興味を持つことにやめにし、
輸入元がかわったLNP2に対しても、全く気乗りしなかった瀬川先生だけに、
もしバウエン製LNP2音を聴かれていたら、
レビンソン製LNP2を聴く機会すら拒否されたかもしれない。
聴く機会が、それこそもっと後になったかもしれない。

そう考えると、瀬川先生とLNP2との出会いは、幸運だった、
出会うべくして、出会うべきときに出会った、と私は思っている。

不思議なのは、シュリロ時代のLNP2が
バウエン製モジュールだということに、
なぜ瀬川先生は気がつかれなかったのこということ。
気がつかれなかったからこそ、LNP2との出会いについて書かれるとき、
山中先生を引き合いに出されるわけなので。

実は、バウエン製モジュールのLNP2と、
マーク・レビンソン製モジュールのLNP2を
じっくり聴き較べてみたことがある。

岡先生がLNP2の記事を書かれたとき、
写真撮影に岡先生所有のLNP2をお借りしていたときに、
ステレオサウンド試聴室常備のLNP2Lと聴き比べてみた。

ステレオサウンドのLNP2Lは、もちろんマーク・レビンソン製モジュール搭載で、
しかも瀬川先生が、こちらのほうがさらに音が良いと書かれている、
追加モジュール搭載仕様で、その意味ではよりLNP2Lらしさは強い。

そのときの印象からいえば、
瀬川先生にとってのLNP2は、
やはりマーク・レビンソン製モジュールのモノだということである。

Date: 9月 4th, 2008
Cate: LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その3)

瀬川先生の追悼記事がステレオサウンドに載ったのは、61号。 
62号と63号の二号にわたって、第二特集として、 瀬川先生の記事が掲載されている。

私がステレオサウンド編集部にバイトで入ったのが、 1982年1月下旬。
19歳の誕生日の約1週間前のこと(ぎりぎり18歳だったので、ずっと「少年」と呼ばれていました)。 

初めて試聴室に入ったときに、ハッとして、目が奪われたが、試聴室隣にある器材倉庫の一角。
そこにはKEFのLS5/1Aとマーク・レビンソンのLNP2L、 スチューダーのA68が、
なんとも表現しがたい雰囲気をただよわせて置かれていた。

編集部の方に訊ねるまでもなく、瀬川先生の遺品であることは、すぐにわかった。
まったく予想していなかったこと、だからうれしくもあり、かなしくもあり、綯交ぜの気持ちにとまどう。

だから「瀬川先生のモノですよね……」という言葉しか言えなかった。

数ヶ月間、LS5/1AもLNP2LもA68も、そこに置かれていた。
「お金があれば……」と思った。すべてを自分のモノにしたかった。
どれかひとつだけ、と思っていても、学生バイトにそんなお金はなく、
「欲しい」と言葉にすることすら憚られた。