Archive for category 瀬川冬樹

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その44)

まっさらの新品の4350から、いきなり、まともなチェンバロの再生ができるわけがない、
そう思われる方もおられるだろう。
     ※
JBL#4350は、発表当初からみると、ずいぶん音の傾向が、以前よりよく揃っているし、バランスも向上している。
初期の製品は、中高域を受け持つホーンのエイジングが進むまでは、ホーンの中に多少の吸音材をつめ込んだりして、この帯域を抑えなくては少々やかましい感じがあったのだが、最近のWXAでは、そのままでほとんどバランスが整っていると思う。
     ※
スイングジャーナルの記事には、こう書かれている。
最新の4350AWXだからと、いうこともあろう。

けれど、これほどうまく鳴ったのは、まっさらの新品だから、であろう。

レコード芸術の連載「My Angle いい音とは何か?」(残念ながら一回だけで終ってしまった)の結びは,次のとおりだ。
     ※
あきれた話をしよう。ある販売店の特別室に、JBLのパラゴンがあった。大きなメモが乗っていて、これは当店のお客様がすでに購入された品ですが、ご依頼によってただいま鳴らし込み中、と書いてある。
スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。
下世話な例え話のほうが理解しやすいかもしれない。
ある男、今どき珍しい正真正銘の処女(おぼこ)をめとった。さる人ねたんでいわく、
「おぼこもよいが、ほんとうの女の味が出るまでには、ずいぶんと男に馴染まさねば」
男、これを聞き早速、わが妻を吉原(ソープランド)に住み込ませ、女の味とやらの出るのをひとりじっと待っていた……とサ。
教訓、封を切ったスピーカーは、最初から自分の流儀で無理なく自然に鳴らすべし。同様の理由から、スピーカーばかりは中古品(セコハン)買うべからず。
     ※
おそらくサンスイのショールームで鳴らされた4350は、いろんな人が鳴らされたのであろう。

愛情を込めて鳴らされた人もいれば、即物的に鳴らされたこともあるはず。
特定の人が、無理なく自然に鳴らしてきた4350ではない。

幾人もの手垢のついた4350が、スレてきていたとしても不思議ではない。
そういう4350だったら、瀬川先生も、ずいぶんと苦労されたであろう。

封を切ったばかりの4350だったからこそ、誰の手垢もついてないからこそ、
瀬川先生の鳴らしかたに、素直に反応してくれたのだろう、といったら、すこし擬人化しすぎだろうか。

Date: 4月 3rd, 2009
Cate: JBL, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その43)

瀬川先生が取材で使われた4350は、まっさらの新品だった。

スピーカーの設置、ML2L、6台を、熱のこと、電源容量のことなどを考慮しながらの設置、
マイクロの糸ドライブ・プレーヤーの設置と調整、
トーンアームのAC-4000MCの基本的な調整、各アンプ間の結線と引き回しなど、
セッティングに30分ほど時間がかかり、瀬川先生は、いきなりチェンバロのレコードをかけられている。

サンスイのショールームで4350を鳴らされたときとは異り、
最初から驚くほどの音が出たと、Kさんから聞いている。

山ほどレコードを持参されており、ほとんどすべてのレコードをかけられたらしい。
ただ残念なことに、30年も前のことだから、Kさんも、記憶が曖昧とのこと。
なにかのきっかけがあれば、ふっと思い出すかもしれない、と言っていた。

聴きながら、さらに細かい調整(チューニング)で、4350の音を追い込まれていった。
スラントプレート(音響レンズ)を、上向きにしたり、標準の下向きに何度も変えてみたり。

食事に出かける時間がもったいなくて、それほどいい音が鳴り響いてきて、弁当で済ませたらしい。

試聴に立ち会う人によって、音が変わる、と瀬川先生は、はっきりと言われていたと聞いている。
だから、これだけ大掛かりにも関わらず、瀬川先生を含め、3人だけの試聴なのだ。

Date: 4月 1st, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その42)

スイングジャーナルの試聴室にて、鳴り響いた音を、瀬川先生はこう書かれている。
     ※
本誌試聴室で鳴ったこの夜の音を、いったいなんと形容したら良いのだろうか。それは、もはや、生々しい、とか、凄味のある、などという範疇を越えた、そう……劇的なひとつの体験とでもしか、いいようのない、怖ろしいような音、だった。
急いでお断りしておくが、怖ろしい、といっても決して、耳をふさぎたくなるような大きな音がしたわけではない。もちろん、あとでくわしく書くように、マークレビンソンのAクラス・アンプの25Wという出力にしては、信じられないような大きな音量を出すこともできた。しかしその反面、ピアニシモでまさに消え入るほどの小さな音量に絞ったときでさえ、音のあくまでくっきりと、ディテールでも輪郭を失わずにしかも空間の隅々までひろがって溶け合う響きの見事なこと。やはりそれは、繰り返すが劇的な体験、にほかならなかった。
     ※
この日、鳴らされたレコードは、記事には、2枚だけ表記してある。

「サンチェスの子供たち/チャック・マンジョーネ」
(アルファレコード:A&M AMP-80003〜4)

「ショパン・ノクターン全21曲/クラウディオ・アラウ」
(日本フォノグラム:Phlips X7651〜52)

試聴が終ったのが深夜1時ごろだったと、Kさんから聞いている。
だから、最初にかけられたチェンバロのレコード、それに上記のレコード以外にも、
かなりの枚数のレコードをかけられたはすだ。

そのなかの1枚がアース・ウィンド&ファイヤーの「太陽神」である。
瀬川先生が、Kさんに「最近、どんなレコードを聴いているんだ?」とたずねられたとき、
彼が取り出してきたのが「太陽神」であり、かなり気にいられた、とのことだ。

「太陽神」のエピソードは、ステレオサウンドに書かれている。
世田谷・砧の新居のリスニングルームで、
4343をマイケルソン&オースチンのモノーラルのパワーアンプM200を鳴らされたときのことだ。

ステレオサウンドの52号のセパレートアンプの特集号の巻頭エッセーをお読みいただきたいが、
あるオーディオ関係者が瀬川先生のお宅を訪ねられたとき、
ちょうど「太陽神」をものすごい音量で鳴られていたときで、
遮音には十分な配慮が施されたリスニングルームにも関わらず、外までかなり大きい音が洩れていた、
そして、その人はなんど玄関の呼出しのベルを鳴らしても、瀬川先生が気づいてくれなくて、
「太陽神」が鳴り終るまで、玄関で待っておられた、こんなことを書かれていた。

M200はEL34を8本使用した、かなり大規模な構成で、
出力は型番が示すように200W(Aクラス動作にすることも可能で、その時は60W)。

このとき瀬川先生のリスニングルームで鳴っていた音も、「劇的なひとつの体験」だったのだろう。

Date: 3月 22nd, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その41)

サンスイのショールールで4350を鳴らされたのは、6月13日の金曜日。
スイングジャーナルの試聴室で鳴らされたのは、その後で、
Kさんによると蒸し暑い日で、梅雨に入ったかどうかということだから、6月下旬だろうか。

瀬川先生以外に、試聴に立ち合ったのは、Kさんと、当時のJBLの輸入元だったサンスイJBL課の増田氏だけ。

Kさんによると、「精緻で近寄り難い荘厳な響きが、今も耳に残っている」とともに、
ML2L、6台の発熱量はハンパじゃなく凄まじく、試聴室のエアコンでは追いつかず、
3人とも団扇を扇ぎながら聴いていたことも、つよく印象に残っているとのことだ。

この日、Kさんは、瀬川先生からチェンバロの再生に関しての、
大切な要素や注意点などについて教えを受けた、と言っていた。

この日の組合せだ。

カートリッジ オルトフォン MC30 ¥99,000
トーンアーム オーディオクラフト AC-4000MC ¥67,000
ターンテーブル マイクロ RX-5000/RY-5500 ¥430,000
ヘッドアンプ マークレビンソン JC1AC ¥145,000×2
チャンネル・デバイダー マークレビンソン LNC2L ¥630,000
プリアンプ マークレビンソン ML6L ¥980,000
パワーアンプ マークレビンソン ML2L ¥800,000×6
スピーカー JBL 4350AWX ¥850,000×2
計¥8,996,000

Date: 3月 20th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その40)

「JBL#4350を鳴らした話」では、夕方6時から8時までの2時間の予定ではじまった、
このときの試聴会では、のこり30分となったときに、チェンバロをかけられている。
     ※
与えられた八時まであと三十分あまりというあたりから、どうやらカンどころが掴め始めた。ハルモニアムンディの、少し古い録音だがバッハのチェンバロ協奏曲(ニ短調。レオンハルトとコレギウム・アウレウム。ドイツ原盤)を鳴らすころから、会場がシンとしてきた。スピーカーの鳴らす音に、どことなく血が通うような気がしてきた。アルゲリッチの新しい録音(ショパンのスケルツォ第二番。独グラモフォン原盤)を鳴らし、この日の会の進行役N君の持ってきたカウント・ベイシーの新録音から一曲聴き終ったら、N君が思わず拍手した。素敵なクラブで素敵な一曲を聴き終った、そんな気分がけっこう出てきたのである。
     ※
ひどい状態で鳴っているときのJBLで聴くチェンバロの音は、まさしく「聴くに耐えない」音の代表である。
チェンバロ特有の響きに耳をすましている聴き手を、容赦なく音の棘が引っ掻いていくからだ。

サンスイのショールームでは手応えを感じられてきたときに鳴らされたチェンバロを、
スイングジャーナルの試聴では、最初に、である。

だからスイングジャーナルでの4350の組合せの取材に立ち合っていた、なんと幸運な友人のKさんの話を聞いていて、
すこし意外に感じながらも、そういうことなのかな、と納得もしていた。

Date: 3月 19th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その39)

虚構世界の狩人」に所収の、「JBL#4350を鳴らした話」では、
西新宿に当時あったサンスイのショールームでのことを書かれている。

そのしばらく後に、スイングジャーナルの記事でも、4350を、
マークレビンソンのML2L、6台で鳴らされている。

もちろんバイアンプ駆動で、ウーファーはML2Lのブリッジ接続。
4350は、2231Aのダブル構成なのでインピーダンスは4Ω。
このときのML2Lブリッジの出力は200Wに達する。
ウーファーの駆動だけで、左右チャンネルでML2Lが4台必要になり、消費電力は1台あたり400W。

4350の中高域は高能率ということと、ML2Lの、おそろしく滑らかな質の高さ、透明度の高さを損なわないように、
ブリッジ接続ではなしで、1台ずつ。これで6台、消費電力の合計は2400W。

これにML6L、JC1AC(これもモノーラル使い)、LNC2(これは2台用意できなかったようだ)、
アナログプレーヤーのマイクロのRX5000/RY5500の消費電力が加わると、2500Wぐらいになろう。

これだけの電力を確保するために、試聴は夕方からはじめ、
そして試聴に立ち合う編集者以外は、みな早めに帰宅してもらい、
試聴室以外のコンセントからも、電源をとったときいている。

瀬川先生が、この組合せで最初にかけられたのは、チェンバロだったとのこと。
(昨夜、友人のKさんから、この話を聞いていた。残念ながら曲名、演奏者名などの詳細は忘れてしまったらしい)

おそらく、この時期、ステレオサウンドの試聴でも使われていた、
プヤーナのチェンバロによるクープランのクラヴサン曲集だと思う。

Date: 3月 18th, 2009
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと, 長島達夫

瀬川冬樹氏のこと(その38)

サプリーム「瀬川冬樹追悼号」に、長島先生は書かれている──
     ※
僕は、そのとき、不覚にもずいぶん裕福な人だなとうらやましく思ったのだが、その後付き合いが重なるうちに、彼が、どんな想いでこれらの製品を買っていったのかがわかるのである。
彼は、決して裕福などではなかったのである。
彼の家は、年老いた母君と、まだ幼い妹さんとの三人暮しであった。日本画家であった父君とはなにかの理由で早くに別れられていたのだ。一家の生活は、一手に彼が背負っていたのである。そのなかで、これらの製品を購っていくことは、どれほど大変なことだったろう。しかし、彼は、そのことを一度たりとも口にしたことはなかった。以上の事情は、付き合いが深くなるにつれて、自然とわかってきたことなのである。
彼の晩年も、けっして幸福なものではなかった。人一倍苦しく、つらい想いをしている。しかし、昔と同じに、苦しさ、つらさを絶対に口にすることがなかったのである。
     ※
苦労やつらさは、顔や態度、そして言葉に、ややもすると出てきてしまいがちだ。

瀬川先生と何度かお会いしている。けれど、そんな印象はまったく受けなかった。
柔和な表情が、瀬川先生の第一印象として、いまも私の中に残っている。
ステレオサウンド 62、63号の瀬川先生追悼特集記事を読んで、だから驚いた。

なぜ、ここまでそういったことを表に、いっさい出されなかったのだろうか。
瀬川先生の美学ゆえだったのだろうか……。

瀬川冬樹の凄さである。

Date: 3月 16th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その37)

マーク・レヴィンソンは、書いている。

「日本文化のひとつの側面は、禅の教えです。瀬川さんのおっしゃる言葉には、禅の教えのように、心を打つものがありました。もちろん、おっしゃったことが正しかったからですが、それよりも私が非常に重要だと思うことは、氏のおっしゃり方、言われた人に伝わるそのお気持」にあるとしている。

レヴィンソンは、瀬川先生の一言で、「もっと内なる真実」を見つめることになる。

Date: 3月 16th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その36)

1982年には、さらにローコスト化を図ったML11LとML12Lが出てきた。
コントロールアンプのML12Lは、電源部を持たず、ML11Lから供給を受けるようになっていて、
それぞれ72万円という価格がつけられ、個別に売られているものの、基本的には組合せで使うものとなっていた。
これが、MLナンバーのついた、最後のアンプというのは、さびしいし、かなしい。

瀬川先生は、ML11LとML12Lはもちろん、ML9LとML10Lの存在もご存じないだろう。
1981年8月6日、ステレオサウンド創刊20周年記念号の取材中に倒れられ、翌7日に再入院されている。
亡くなられたのは、ちょうど3ヶ月後の11月7日の、午前8時34分。

レヴィンソンは、瀬川先生に、これらのアンプの存在を知られたくなかったのではないのか。
私は勝手にそう思っている。間違いないと思っている。

そしてこのころ、LNP2Lにも変化があった。
インプットアンプのゲイン切替えが、初期のモデルと同じ、0、+10、+20dBの3段階に戻されている。
別項の「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書いていたが、
使い難さを指摘されながらも、+30、+40dBの5段階にしていたのは、
レヴィンソンにとっての、求める音のためであったのだろうし、
それを使いやすさのためだけに(私はそう思う)、音の冴えが損なわれるポジションのみとなったこと──、
すでにマークレビンソンというブランドは、レヴィンソンの手を確実に離れつつあった。

瀬川冬樹氏のこと(その35)

1981年の秋には、マークレビンソンから、ML9LとML10Lが発売された。
当時の価格は、どちらも85万円。普及価格帯の製品ではないが、
マークレビンソンとしては、初の価格を意識したアンプである。

このペアが、ステレオサウンドの誌面に登場したときは、まだ読者だった。
正直、落胆した記憶がある。マークレビンソンらしくないアンプだと感じたからだ。

ML9LとML10Lは、マドリガル体制になってからの、初のアンプでもある。
ただ、このことを知ったのは、数年後だった。

アンプの開発には、それなりの時間が必要だから、ML9LとML10Lを企画したのは、
事業経営に忙殺されていたレヴィンソンだったのか、マドリガルの首脳陣だったのかは、はっきりしない。

私にとって、マークレビンソンのアンプは、こちら側から近づいていく存在であり、
価格を抑えることで、向こうからこちらにすり寄ってきてほしくはない。

ステレオサウンドに入ったころは、傅さんが、ML7Lの購入を決意されていた頃でもある。
傅さんが、どれほどML7Lに惚れ込まれていたのかを、みて知っている。
頭金をつくるために、愛着のある、手もとに置いておきたいオーディオ機器の処分を決意され、
どれを手放さなければならないのか、リストアップされていたのを知っている。
支払いの計算も、用意できる頭金の額によって、いくつも計算されていた。

お金のなる木をもっている人ならば、ポーンと即金で買えるだろう。
だが、そんなものは、世の中にはない。傅さんも持っていなかったし、私も持っていない。

だから、MLナンバーがつく、マークレビンソンのアンプを購入するということは、苦労が伴うことでもあった。
そうしてでも手に入れる価値あるアンプだと、私は思っていたから、
言葉にしなかったが、傅さんには共感していた。心強く思ってもいた。

念願のML7Lを手に入れられた傅さんは、輸入元による付属のウッドケースが気にいらず、
オリジナルの、白木のウッドケースを取り寄せられている。

だから、ML9L、ML10Lが登場したとき、瀬川先生はなんとおっしゃるのか、それがとにかくも知りたかった……。

Date: 3月 15th, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その34)

マーク・レヴィンソンは、このとき、瀬川先生のお宅の「壁ぎわに、古い小さなピアノがあるのに気がつき」、
10分間ほど、仕上げたばかりの自作の曲を弾いている。
弾き終ったレヴィンソンに、
「演奏中は、お顔の表情がまったく違っていましたよ。大変おくつろぎのご様子で、本当に幸せそうでした」と
瀬川先生はおっしゃったそうだ。

この瀬川先生の言葉を、レヴィンソンは「忘れることができないであろう一言」と、表している。
この瞬間(とき)、レヴィンソンは、「私の人生には音楽しかなく、会社経営とか技術という分野は元来、
自分の領域ではない、という私にとって動かしがたい真実」を、悟ったと書いている。
「真に幸せであるためには、いかなる変化が要求されようとも、私が生きていくためには、
音楽のためにより多くの時間と、空間を創り出すことが絶対に必要であること」も思い出している。

LNP2やJC2、ML2が高い評価を受けるとともに、会社も急激に大きくなり、
レヴィンソンの「心は事業経営に忙殺され」、音楽に費やす時間が、反比例して減っていく。

成功とともに失ったものに気づき、「音楽に再び帰るべきこと」を、
レヴィンソンは、瀬川先生の「思いやりのある言い方」で決心したのだろう。

瀬川先生は、「茶目っ気たっぷりの目をクリクリさせながら」言われたそうだ。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その39)

暗中模索が続き、アンプは次第に姿を変えて、ついにUX45のシングルになって落着いた。NF(負饋還)アンプ全盛の時代に、電源には定電圧放電管という古めかしいアンブを作ったのだから、やれ時代錯誤だの懐古趣味だのと、おせっかいな人たちからはさんざんにけなされたが、あんなに柔らかで繊細で、ふっくらと澄明なAXIOM80の音を、わたしは他に知らない。この頃の音はいまでも友人達の語り草になっている。あれがAXIOM80の、ほんとうの音だと、わたしは信じている。
誤解しないで項きたいが、AXIOM80はUX45のシングルで鳴らすのが最高だなどと言おうとしているのではない。偶然持っていた古い真空管を使って組み立てたアンプが、たまたま良い音で鳴ったというだけの話である。しかしわたくし自身はこの体験を通じて、アンプというもののありかたを自分なりに理解できたつもりであり、また同時に、無責任な「技術の進歩」などという言葉をたやすくは信じなくなった。
     ※
ステレオサウンドの7号(1968年)に、瀬川先生が書かれた文章である。

瀬川先生が理解された「アンプのありかた」、AXIOM80が啓示した「アンプのありかた」──、
これらのことが、瀬川先生とLNP2との出合いにつながっていく。

Date: 3月 1st, 2009
Cate: 瀬川冬樹

サプリーム

サプリームの奥付には、昭和48年12月28日 第三種郵便認可とある。
ということは図書館にもあるのかな、と思っていたら、
さきほど若い友人のKOさんが、神奈川県立川崎図書館にあることを知らせてくれた。

瀬川冬樹追悼号の144号も、もちろんあったとのこと。
おそらく国会図書館にもあることだろう。
すべての図書館にあるわけではないだろうが、いちどお近くの図書館で検索されてみてはいかがだろうか。

Mark Levinsonというブランドの特異性(その32)

ステレオサウンドの44号、45号は、「フロアー型中心の最新スピーカーシステム」と題し、
61機種のスピーカーシステムをとりあげている。
その中にKEFの105が含まれている(45号に掲載)。

瀬川先生の試聴記を書き写しておく。
     ※
一年以上まえから試作品を耳にしてきたが、さすがに長い時間をかけて練り上げられた製品だけのことはある。どんなプログラムソースに対しても、実に破綻のない、ほとんど完璧といいたいみごとなバランスを保っていて、全音域に亘って出しゃばったり引っこんだりというような気になる部分はほとんど皆無といっていい。いわゆるリニアフェイズ型なので、設置および聴取位置についてはかなり慎重に調整する必要がある。まずできるかぎり左右に大きくひろげる方がいい。少なくとも3メートル以上。スピーカーエンクロージュアは正面を向けたままでも、中音と高音のユニットをリスナーの耳の方に向けることができるユニークな作り方だが、やはりウーファーごとリスナーの方に向ける方がいいと思う。中〜高域ユニットの垂直方向の角度も慎重に調整したい。調整がうまくゆけば、本当のリスニングポジションは、ピンポイントの一点に決まる。するとたとえば、バルバラのレコードで、バルバラがまさにスピーカーの中央に、そこに手を伸ばせば触れることができるのではないかと錯覚させるほど確かに定位する。かなり真面目な作り方なので、組合せの方で例えばEMTとかマークレビンソン等のように艶や味つけをしてやらないと、おもしろみに欠ける傾向がある。ラフな使い方では真価の聴きとりにくいスピーカーだ。
     ※
そして45号には、マーク・レヴィンソンのインタビュー記事が載っている。

Date: 2月 23rd, 2009
Cate: Mark Levinson, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その33)

マーク・レヴィンソンは、1982年に、追悼文を書いたと、サプリームの発行日からも、そう思われる。

サプリームの「瀬川冬樹追悼号」を、私はいま読んでいる。そのことを幸運だと思ってもいる。
82年春に読んでいては、レヴィンソンにとって、1981年がどれだけ大変な1年であったのかが、
その時は伝わってこなかった情報によって、わからなかったからだ。

1981年は、瀬川先生の死だけではなく、彼自身の会社(MLAS=Mark Levinson Audio Systems)が、
マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズのマネージメント下におかれることになり、
マーク・グレイジャー、フィリップ・ムジオ、サンフォード・バーリンによって、
すべてのエンジニアリングは管理・指揮されるシステムへと変わっていたのだ。

そして1984年、マーク・レヴィンソンは、MLASを離れる。
社名も、マドリガル・オーディオ・ラボラトリーズ・インクとなり、
マークレビンソンはブランド名となってしまう。

なぜ、この年だったのか……。
契約上、決ってきたことなのか、それとも他に理由があるのか。

私は思う──、1983年秋に、LNP2の製造が打ち切られている。
この決定によって、レヴィンソンは、自らつくった会社を離れる決心をしたのだ、と。