つきあいの長い音(その30)
つきあいの長い音も、“plain sounding, high thinking”なのだろう。
つきあいの長い音も、“plain sounding, high thinking”なのだろう。
つきあいの長い音に官能性を与えるもののひとつが、それも重要なひとつが器ではないのか。
つきあいの長い音に必要なのものの中には、器に対する心遣い、気くばりがあるはずだ。
つきあいの長い音と器の関係を忘れてはならないと思っている。
つきあいの長い音の条件のひとつは、静寂に調和できる音かもしれない。
つきあいの長い音は、つきあいを深めていける音。
つきあいの長い音を得るには、調整だけでなく調教してこそだ、と思う。
つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手とともに目的地をつくっていく──。
つきあいの長い音は、音の目的地を聴き手にわからせるものなのか。
つきあいの長い音──、裸形の音と向き合っていくことなのかもしれない。
つきあいの長い音になっていくのだろうか、手本のような音は……。
つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手を試しているのだろう。
つきあいの長い音と使いこなし──、使い熟していけるかだろう。
マルコ・パンターニの走りに、多くのロードレースファンは熱狂した。
沿道に集まっている人たちもそうだし、テレビで観戦している人たちもそうだ。
スポーツを見ても熱狂するということがほとんどない私でも、
パンターニの走りには熱狂した。
皆、パンターニの走りは熱い、そういったことを口にする。
私もそういっていたし、そう感じている。
山岳コースを誰よりも速く走るには最短距離を走ることも求められる。
平坦な道ではコーナーの内側を走る選手でも、
山岳コースを苦手とする選手はコーナーの外側を走ることがある。
内側を走った方が距離は短くなる。
山岳にはいくつものコーナーがあるわけだから、
すべてのコーナーを内側で駆け抜けるか、外側を走るかはけっこうな違いとなってくる。
それでも外側を走る選手がいるのは、内側を走ることがしんどいからでもある。
コーナーの内側と外側では山岳コースでは傾斜が、内側の方がきつくなる。
そのきつくなっている傾斜をもパンターニはすばやく駆け抜けていた。
そういうところにもロードレースファンは熱狂していた。
熱い走り──、それは情熱的な走りともいえようか。
そんなパンターニの山岳での走りをみていて、熱いものを感じていた。
このことは以前書いている。
けれどパンターニは、山岳のしんどさから抜け出したがっていた。
そのことをインタヴューを読んで知った。
情熱とは、いったいなんだろう……、と改めて考えていた。
もう10年以上の前で、いつ見たのか正確には憶えていない。
NHKで、ある実験のドキュメンタリー番組があった。
その実験が意味するところは最先端すぎて私には理解できなかったし、
その実験が成功すれば世界初だということだけは憶えている。
その実験機材の様子が映されていた。
それを見て、私は失敗するな、と思っていた。
オーディオマニア的観点からすれば、絶対にいい音が出ないセッティングだったからだ。
世界初の実験だから、いろいろな器材が段階段階で足されていったように見えた。
配線もぐちゃぐちゃになっている。
オーディオ機器をこんなセッティングでこんなにぐちゃぐゃちの配線をしてしまったら、
そこでのオーディオ機器がどんなに高性能なモノであっても(むしろ高性能であればあるほど)、
その良さを活かすことはできない。
配線さえ間違えなければ音は出る。
出るけれど……、というレベルの音でしかない。
テレビに映っていた実験もそれに近いというか、まったく同じといいたくなる状態だった。
実験は失敗だった。
私はそうだろう、と思って見ていた。
この実験室にはオーディオマニアがひとりもいないんだな、と思って見ていた。
実験はすべての器材がいったんバラされ、一から実験機材のセッティングが始まった。
今度は、以前の状態とはまったく違う、きちんと整理されぐちゃぐちゃの配線も、
少なくともテレビの画面からは伺えない状態に仕上げられていた。
実験は見事成功。
最先端の実験なのだから、細かな、デリケートなところが影響しての失敗だったのだろう、
とオーディオマニアの私は思っていた。