つきあいの長い音(その31)
つきあいの長い音は、絶対的にlow thinkingではない。
つきあいの長い音は、絶対的にlow thinkingではない。
つきあいの長い音も、“plain sounding, high thinking”なのだろう。
つきあいの長い音に官能性を与えるもののひとつが、それも重要なひとつが器ではないのか。
つきあいの長い音に必要なのものの中には、器に対する心遣い、気くばりがあるはずだ。
つきあいの長い音と器の関係を忘れてはならないと思っている。
つきあいの長い音の条件のひとつは、静寂に調和できる音かもしれない。
つきあいの長い音は、つきあいを深めていける音。
つきあいの長い音を得るには、調整だけでなく調教してこそだ、と思う。
つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手とともに目的地をつくっていく──。
つきあいの長い音は、音の目的地を聴き手にわからせるものなのか。
つきあいの長い音──、裸形の音と向き合っていくことなのかもしれない。
つきあいの長い音になっていくのだろうか、手本のような音は……。
つきあいの長い音は、そのつきあいにおいて聴き手を試しているのだろう。
つきあいの長い音と使いこなし──、使い熟していけるかだろう。
マルコ・パンターニの走りに、多くのロードレースファンは熱狂した。
沿道に集まっている人たちもそうだし、テレビで観戦している人たちもそうだ。
スポーツを見ても熱狂するということがほとんどない私でも、
パンターニの走りには熱狂した。
皆、パンターニの走りは熱い、そういったことを口にする。
私もそういっていたし、そう感じている。
山岳コースを誰よりも速く走るには最短距離を走ることも求められる。
平坦な道ではコーナーの内側を走る選手でも、
山岳コースを苦手とする選手はコーナーの外側を走ることがある。
内側を走った方が距離は短くなる。
山岳にはいくつものコーナーがあるわけだから、
すべてのコーナーを内側で駆け抜けるか、外側を走るかはけっこうな違いとなってくる。
それでも外側を走る選手がいるのは、内側を走ることがしんどいからでもある。
コーナーの内側と外側では山岳コースでは傾斜が、内側の方がきつくなる。
そのきつくなっている傾斜をもパンターニはすばやく駆け抜けていた。
そういうところにもロードレースファンは熱狂していた。
熱い走り──、それは情熱的な走りともいえようか。
そんなパンターニの山岳での走りをみていて、熱いものを感じていた。
このことは以前書いている。
けれどパンターニは、山岳のしんどさから抜け出したがっていた。
そのことをインタヴューを読んで知った。
情熱とは、いったいなんだろう……、と改めて考えていた。