オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事、
オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為。
前者をめざしていたはずなのに、気づいたら後者であった──。
それが朝沼予史宏氏が、Components of the yearの選考委員ではなくなった理由だ。
具体的ないくつかのことは、
菅野先生からではなく、他のオーディオ業界の人らから聞いている。
オーディオ業界にいない私の耳に、そのことは伝わってきたくらいなのだから、
業界の人たちは、もっと具体的なことをもっと多く知っていたであろう。
どんなことなのかもいくつか知っている。
けれど、その具体的なことは書かない。
菅野先生が、あの日「朝沼くんは、やりすぎたんだよ」といわれた。
朝沼予史宏さんを慮ってのことばである。
菅野先生が朝沼予史宏氏を追い出したと思い込んでいる人たちは、
そうは思えないだろうが、慮って、である。
菅野先生はComponents of the yearの選考委員長として、
朝沼予史宏氏を選考委員から外されたのは、
苦渋の決断である。
菅野先生は、こう続けられた。
「朝沼くんならば、きっとやり直せる、はい上がってくるはずだ」と。
そのころの朝沼予史宏氏の行為は、オーディオ評論家の領域を逸脱してしまった行為だ。
オーディオ評論家の領域を超えたところでの仕事ではなかった。
逸脱した行為を続けていては、朝沼予史宏という一人のオーディオ評論家をつぶしてしまうことになる、
朝沼予史宏という才能を殺してしまうことになる。
そんなことになる前に──、なんとかするために──。
菅野先生は選考委員から朝沼予史宏氏を外された。
そのことによる影響の大きさは、菅野先生がいちばんわかっておられたはずだ。
そのことによってしんどい時期があっても、
朝沼予史宏氏ならば、はい上がってくれる、と信じておられた。
時間はかかるだろうが、
腐らずにオーディオ評論という仕事を全うしていけば、
再びComponents of the yearの選考委員になれたのである。
なのに朝沼予史宏氏が、突然逝ってしまわれた。
こんなことになろうとは、菅野先生もまったく予想されていなかった。
だから、あの日の菅野先生は落ち込まれていた。
昨晩、今晩と続けて書いてきたことは、
以前、別項で書いていることのくり返しでもある。
いまも菅野先生が朝沼予史宏氏を追い出した、と信じている人がいる。
だから、また書くことにした。