Archive for category 1年の終りに……

Date: 12月 9th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その8)

メリディアンの210は、210 Streamerである。
製品ジャンルとしては、ストリーマーということになる。

ストリーマーは、今後製品が活発に登場してくるであろう製品ジャンルであり、
今年いくつか登場したストリーマーのなかには、
210と同じくMQAのコアデコード機能をもつモデルがある。

私が聴いているのは210だけなのだから、
それらのモデルの音がどうなのかについては何も語れないのだが、
メリディアン以外からのMQAコアデコード機能をもつストリーマーの登場は、
MQAのエヴァンジェリストを自認する私としては、嬉しい一年だったといえる。

来年もそういうモデルが登場してほしいし、
そしてなによりもTIDALの日本でのサービスが開始されてほしい。

Date: 12月 5th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その7)

2019年に発表になったメリディアンの210。
オンキヨーのせいで、日本は二年半ほどおあずけをくらった。

210は別項で書いているように9月に少しの期間使うことができた。
いままた使っている。

使っていると楽しい。
確かにこれはチューナーでもあるな、と感じる。
しかも魅力的なチューナーである。
即物的な性能重視のチューナーではない(この点に関しては、別項で書く予定)。
そこのところにおいても、実に楽しいオーディオ機器である。

そしていろんなオーディオ機器と組み合わせ試してみたくなる。
別項でも触れているように、96kHzまでのコアデコードが可能だから、
MQAに対応していないオーディオ機器と組み合わせたい。
D/Aコンバーターよりも、D/Aコンバーター搭載のアクティヴ型スピーカーと組み合わせてみたい。

つい、どんな製品があるのか、価格はいくらくらいなのか。
それが気になってきているし、それほど高くなければ買ってみようかな、と思うぐらいだ。

終のスピーカーがやって来たから、そういう余裕があっても、
それらすべてを終のスピーカーにもってきたいので、買うことはしないだろう。

それでも、いろんな組合せを想像するだけでも210の存在は楽しませてくれる。
210を、今年の新製品と呼んでいいのか。

そうなのだが、日本では今年発売になっているのだから、今年の新製品であるわけだ。
少なくとも私にとっては今年の新製品であり、
これからの時代の音楽の聴き方(接し方)をより楽しいものにしてくれる。

Date: 12月 5th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その6)

11月が近くなると、毎年、この項のテーマについて、
今年は何を書こうかな、と思いはじめる。

今年は、ジャーマン・フィジックスのTroubadour 40がやって来たことによって、
書こう、と思っていたことのいくつかを忘れてしまった。

いくつか書こう、と思っていたのに、思い出せずにいる。
そのくらいTroubadour 40がやって来たことの衝撃は大きい。

Troubadour 40について書き始めると、止らなくなるから、
かなり自制している。

Troubadour 40のことばかり書いていると、またTroubadour 40のことか、
そうおもわれても別にかまわないのだけれども、いまのところは抑えておく。

本格的にTroubadour 40を鳴らすようになったら、書くことがいろいろと出てくるだろうからだ。

Date: 12月 1st, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その5)

オーディオに関しては、私にとって再会の一年だった。
昔を懐かしがって聴くための再会ではなく、
新しい世界(領域)への一歩となる再会である。

Date: 11月 21st, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その4)

別項で書いているように、今年はまずGASのTHAEDRAがやって来た。
それからラックスキットのKMQ60(50CA10のプッシュプル)と、
50CA10のシングル自作アンプが夏にやって来た。

そして昨日、終のスピーカー(Troubadour 40と4PI)がやって来た。

けれど、今年やって来たのは、これだけではなく、ここでは何が来たのかはあかさないけれど、
私自身、ちょっと驚くようなモノが来たし、他にもいくつかやって来た。

どうしたんだろう、今年は? 
そういいたくなるほど、オーディオ機器が集まってきている。

そろそろ本気で引っ越しを考えはじめているところだ。

Date: 11月 16th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(番外)

別項「オーディオと偏愛」で、ルコントのことを書いている。
私の大好きなケーキ店がルコントだ。

別項で書いているように、2010年に閉店し、2013年に復活した。
規模は縮小しての復活だったけれど、あきらめていたルコントの洋菓子が、
ふたたび食べられるようになったのは、
ルコントと同じくらいに大好きだった和菓子の三はし堂が、
やはり一度閉店しての復活だったのと同じで、やはり味のわかる人がいる──、
そうおもえて心強かった。

けれど三はし堂も、この店のことも別項で書いているが、
二度目の閉店でもう復活することはないだろう。
ルコントも、今年8月で全店が閉店した。

その前から、少しずつ店舗が減っていたから、厳しいのかなぁ、とは心配ではあった。
こういう不安だけは的中する。

おそらくもうルコントの洋菓子を食べることはないだろう。
予想できていたことだから、とてもさびしいというほどではないが、
私にとってルコントの洋菓子にかわる存在は、いまのところない。

東京には、いくつの洋菓子店があるのかわからないほどある。
デパートの食料品売場のフロアには、そういう店が入っている。

そういう店の洋菓子と比較すると、
いまとなってはルコントの洋菓子は地味な見映えだったような気もする。

そうであったとしても、変らぬ魅力を維持していたとも感じていた。

Date: 11月 11th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その3)

今年はなんといっても、メリディアンとジャーマン・フィジックス、
私の好きな、この二つのブランドが、日本市場に戻ってきたことがいちばんである。

海外ブランド、海外製品に関しては、輸入元がどこか、というのは、とても大事なことである。
高級オーディオのブランドばかり取り扱っているからといって、
その輸入元がよい輸入元とはいえないのが現状だ。

私は、好きなブランドの取扱いがステラ/ゼファンに移ってしまうと、
よりによってステラ/ゼファンなのかぁ、と毎回心の中でつぶやいている。

ジャーマン・フィジックスがステラ/ゼファン扱いにならなければ──、
どうしてもそう思ってしまうし、これだけではない。
他にもいくつか挙げることができる。

ステラ/ゼファンは飽きっぽいというか、冷淡なのか。
商売にならないと判断したら、取扱いをやめる。
商売だからしかたない──、
そうなのだろうが、ジャーマン・フィジックスのようにタイムロードがそれまで扱ってきて、
大切にしてきたブランドを、いわば横取りするようにして扱いはじめる。

そしてポイ捨て。
そんなふうには取り扱っていない、と反論されそうだが、
ジャーマン・フィジックスの音に惚れ込んでいる私にとっては、そう見える。

とにかくジャーマン・フィジックスとメリディアンが戻ってきた。

Date: 11月 10th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その2)

2021年をふりかえって(その4)」で、メガネを新調したことを書いた。
川崎先生デザインのACTシリーズのなかから、ACT-Treeを選んだ。

2021年をふりかえって(その5)」で、
ACT-Threeにしてからの日々は、第三幕ということになるのか、とも書いた。

別項「終のスピーカーがやって来る」を書いていると、
第三幕なのかもしれない、と思ったりする。

Date: 11月 10th, 2022
Cate: 1年の終りに……

2022年をふりかえって(その1)

一昨年は、11月8日から「2020年をふりかえって」を書き始めた。
昨年は、11月1日から「2021年をふりかえって」を書き始めた。
今年は今日からだ。

今年、マドンナの新譜が出た。
“Finally Enough Love: 50 Number Ones”である。
TIDALでは、このアルバムはPopのところではなく、Danceのところで扱われている。

e-onkyoでもロック/ポップスではなく、クラブ/エレクトロニカのところだ。

マドンナのファンではないが、まったく聴いていないわけでもない。
耳にすることはあった。

以前、マドンナはQueen of Popと呼ばれていた。
だからPopなのだと思っていたら、いつしかDanceである。
いつからそうなのかは知らないが、時代は変っている──、そのことに驚いていた。
他の人はどうかはわからないが、私には、このことはけっこうな驚きだった。

このことをどこかで書こうと思いつつも、
唐突に、どこかのテーマで触れるのは無理があるな、と思っていたので、
ここで書くことにした。

Date: 12月 31st, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年の最後に

このブログでは、つねに複数のテーマで書いている。
今年、それも終りが近くなって気づいたことは、
すべてのテーマとまではいわないものの、多くのテーマに共通していることがある、こと。

耳に近い(遠い)、心に近い(遠い)ということだ。
音もそうだし、音楽もそうである。

私は、耳に近い音、耳に近い音楽よりも、
心に近い音、心に近い音楽をとる。

どんなに耳に近い音であっても、心に遠い音であれば、
若いころならいざしらず、心に近い音をとる。

「目に遠く、心に近い」、
これはインドネシアのことわざらしい。
そのことについて触れたのが、2015年である。
「正しい音とはなにか?」(正確な音との違い・その2)』で触れている。

それから六年半ほどかけて、「心に近い」ということがどういうことなのかを実感している。
今年は、心に近い音、心に近い音楽だけではない、
心に近い人に関してもそうだった。

十数年、このブログを書いてきて、
「心に近い」、そのことの大切を感じていた一年といえる。

Date: 12月 24th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その20)

「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

以前にも書いていることのくり返しなのだが、本気でそう思っていた時期があった。
30代前半のころだから、いまから二十年以上の前のことだ。
親しい友人にも、そう言っていた。

本気だったのに、そのとおりにしなかったきっかけは、すでに書いている。
川崎先生のDesign Talkと出逢っていなければ、読みつづけていなければ、
ずっとこのままきていたかもしれない。

それに瀬川先生の著作集をなんとかしたい、というおもいが、
ステレオサウンドを離れてからずっとあったことも、深く関係している。

30代後半のころ、インターネットが普及の兆しを見せ始めていた。
ウェブサイトを自分でつくるアプリケーションも出始めてきた。

このことがなければ、もしかすると、じっとそのままで、
「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」といい続けていたかもしれない。

いくつかのきっかけが重なっての2000年8月にaudio sharingの公開だった。
公開後も、いろんなことがあった。

もしaudio sharingをつくっていなかったら、公開していなかったら──、
オーディオの才能を自分のためだけに使っていたら──。

audio sharingの公開後の人との出逢い。
ある人と出逢い、その人との出逢いで、また別の人と出逢う。
六次の隔たり、という仮説の実感でもある。

そうやっての2021年10月7日の巡り逢せは、
オーディオを続けてきてよかった、と心底から実感している。

Date: 12月 23rd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その19)

その13)で、誰か「ゲスの壁」を書かないだろうか、と書いた。

ゲスは、下司、下種、下衆と書く。
どう書くのがいいのか、あれこれ考えて結局ゲスにした。

辞書には、品性が下劣なこと、また、そのような人やさま、とある。
品性が下劣であっても、知識だけは豊富な人も、私にいわせればゲスである。

本を数多く読んでいる人でも、ゲスな人は残念ながらいる。
どうしてなのだろうか、としばらく考えたことがある。

なんとなくではあるが、こういうゲスな人に共通しているのは、
上書きしかできないのではないだろうか、ということだ。

Date: 12月 19th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その18)

別項でもなんどか書いている「心に近い(遠い)」。
このことを今年は、改めていろんな機会に考えていた。

心に近い音、心に近い音楽、そして心に近い人。

Date: 12月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その17)

ソーシャルメディア、ほぼ毎日眺めていて、
オーディオのことだけでいえば、着弾と出音という単語が、
よく使われるようになったと感じた。

着弾と出音。
私は、どちらも使わない。これからも使うつもりはないが、
使う使わないは、その人が選ぶことであって、とやかくいうことではない──、
とわかっていても、なんだか違和感のようなものをおぼえてしまう。

手に入れたいモノが届く──、
その嬉しさを着弾という単語で表現しているのはわかっている。
でも、もう少しマシないい方はないのか、とも思う。

出音。
こちらは、語感が悪いと感じる。
出音。もうこれだけで私は悪い印象を受けてしまう。

なのに「いい出音だった」みたいな使われかたを見かけると、
へぇ……、という印象しか残らない。

世代の違いなのか、とも思うこともあったけれど、
ソーシャルメディアでは投稿している人の年齢がはっきりとわからないこともあるが、
意外にも若い世代の人だけでなく、けっこう上の世代の人も使っているようだ。

来年以降は、オーディオ雑誌でも、着弾、出音が使われ始めるようになるのか。
それとも、もう使われ始めているのか。

Date: 12月 15th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その16)

Kindle Unlimitedで読めるようになるまで待つつもりだったけれど、
ステレオサウンド 221号のベストバイで、JBLの4309がどう扱われているのか、
それだけが気になって、このところだけを立読みしてきた。

4309の評価はまずまず高かった。
黛 健司氏が、220号での新製品紹介記事に続いて、コメントを担当されている。
まぁ、そうだろうな、と思う。

その文章には、八城一夫、ベーゼンドルファーと出てくる。
ベストバイの一機種あたりのコメントの文字数は少ない。
その制約のなかでの表現なのはわかっている。

それでも、八城一夫、ベーゼンドルファーが、何を意味しているのか、
すぐにわかるのは、私ぐらいがぎりぎりの世代であろう。

私より若い世代になると、何のことだろうか──、となるであろう。
いうまでもなく菅野先生録音のことである。

オーディオラボのレコード(録音物)を聴いてきた、
少しでもいい音で鳴らそうとしてきた人ならば、
八城一夫、ベーゼンドルファーが意味するところを掴める。

こういう書き方をした黛 健司氏に対して何かをいいたいわけではない。
この文章をそのまま掲載したステレオサウンド編集部に、何か言いたいわけでもない。

ただ、そのまま掲載したということが意味するところを考えてみてほしい。
それで意味がわかる人が多い、という判断なのだろう。
つまり、ステレオサウンドの現在の読者の中心年齢層がどこなのか、である。