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Date: 2月 5th, 2012
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その1)

以前書いたように、このブログは1万本書くまで毎日書いていこうと決めている。
そのためには、それに見合うだけのテーマが必要となり、
テーマの多くは、いわば問いであり、
本文に、その問いに対する答えにたどりつくまでの過程である。

昨夜までで2430本書いて、この2431本目を書こうとして気がついたことがある。
問いがあるから答えがある、問いがあるから答えを見つけられる、ということだ。

2008年9月に書き始めたわけだから、約3年半で2400本ということは、まだまだ書きつづけていくことになる。
このペースでいけば、あと約10年書いていくわけだが、
1万本に近づいたときに、究極の答え、最終的な答えにたどりつけるのか。
そのためには究極の問いを見つけることになる。

そのことは本末転倒なような気もするし、
じつのところ、答えよりも問いを見つけていくことが大事なことなのかもしれない、と思う。

究極の問いを見つけたとき、
その答えは見つけられるのか。もしかするとすでに見つけていたことに、そのとき気づくのだろうか。

Date: 2月 4th, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その33)

MC2300と同時代のコントロールアンプとしては、C28とC26がある。
C26は1967年か68年、C28は1970年ごろの発売である。
マッキントッシュは、1970年代後半に、それぞれの後継機としてC29、C27と、最上級機としてC32を出した。

フロントパネルを見ればすぐわかるように、C28の後継機がC29、C26のそれがC27で、
フロントパネルのレイアウトは基本的には同じであるが、見た印象は異るところもある。

C26、C28は古きよきアメリカの製品という印象を、私などは受けて、
それが少々鼻につく感じもする。ほんの少しでいいから、控え目であってほしいと思う。
C29とC27は、アメリカのアンプという感じを持っていても、C28、C26に比べれば、すっきりした印象がある。
パネルレイアウトは同じでもツマミに変更が加えられているため、である。

C26、C28のツマミは管球時代のC22、C20など同じもので、ツマミ全体がシルバーで仕上げられている。
C27、C29のツマミは、C28、C26のツマミと同じくローレットが入れられたものでも、
ツマミの平面部分(円柱の頭頂部)の仕上げが違う。ここのところが光沢のある黒になっている。
たったこれだけのことではあっても、C28(C26)とC29(C27)から受ける印象は、
マッキントッシュのデザイン(アピアランス)にやや拒絶したいものを感じていた私にとっては、
うれしい変更であった。

それにC27の音は、いまでも印象に残っている。
マッキントッシュのコントロールアンプで、欲しい、と思ったのはC27だけである。

C28、C26の傾向とは、C27の音は、なにかマッキントッシュが変った、時代が変ったことを思わせるような、
みずみずしさが魅力となっていた。
マッキントッシュのアンプの音を語るときに、みずみずしい、という表現が自然に出てくるのは、
最近のマッキントッシュのアンプはじっくり聴いていないのでなんともいえないが、
すくなくとも1990年までに登場したものでは、C27だけ、といっていい。

C29、C27に採用されたツマミは、C27のすこし前に登場したC32でも採用されている。
ただC32はフロントパネルに並べられたツマミの多さからもわかるように、
C28、C26の時代にはなかった機能フル装備のアンプで、C27との音の魅力とはやや違うものの、
マッキントッシュのコントロールアンプの新しい世代は、C32から始まっている、といえる。

そのことはマッキントッシュ自身がいちばんよくわかっていたことだから、
そして狙っていたことでもあることだから、ツマミの変更をあえて行ったのだろう。

Date: 2月 3rd, 2012
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その32)

パワーアンプの選択肢が、マッキントッシュのMC2300、MC2500、MC2600だけしかなかったら、
3機種のどれを選ぶかは、条件によって私の場合は変ってくる。

パワーアンプはその1台だけ、他のパワーアンプを所有することができなければ、MC2600を選ぶ。
けれど、他にメインとして使っているパワーアンプがあったうえで、ということなら、こんどはMC2300を選ぶ。

私が求めている音にとって、MC2300は個性が強いし、その個性の方向も違う。
だからよりしなやかさを身につけ、音の表現力の幅がひろがったMC2600を使うことを、
条件によっては選ぶことになる。

けれどサブ的な(およそサブ的な大きさと重量ではないけれど)パワーアンプとして使いたいのは、
MC2600との比較でも武骨で、しなやかさもいくぶん欠けぎみであってもMC2300を選ぶわけだ。

発表されたのはMC2300は1973年ごろ、MC2600は1989年か90年だから、15年以上の期間がある。
アンプは、そのあいだ、ずいぶん進歩している。
その進歩は、出力にも表われている。
同じ筐体ながら、型番が示すようにMC2300の出力は300W×2、MC2600は600W×2。2倍に増えている。

けれど、実際に聴いてみると、マッシヴなパワー感はMC2300の方に強く感じる。
このことは実際の出力の大きさとは、ほぼ無関係ともいえるし、
そういうパワー感だからこそ、MC2300の音には、ある種の凄みを感じることもある。

MC2300とMC2600の、こういう音の感じ方の違いは、ノイズと密接に関係しているような気もする。
この項の(その31)にも書いたように、
MC2300のノイズは電気モノという感じであり、MC2600のノイズは電子モノという感じである。
つまりノイズの粒子が、MC2300ではやや大きく、MC2600ではかなり細かくなっている、ともいえる。

Date: 2月 3rd, 2012
Cate: 映画

映画「ピアノマニア」(続々続・観てきました)

何度か私も書いていることであるし、他の人も同じことを語られたり書いてたりすることに、
同じ場所で同じ時間に、ある音を聴いても同じ音として聴き取っているわけではない、ということがある。
このことは何度か経験してきたことでもある。

人ひとりひとり感性が違うから、それにわずかとはいえ同じ場所に坐って聴くことは不可能だから、
物理的にも音の変化があるのだから、違って聴こえて当然、ということがいえるといえばいえる。

映画「ピアノマニア」での、
ピアニストのピエール=ロラン・エマールとスタインウェイの調律師、シュテファン・クニュップファーの、
「フーガの技法」に必要なピアノの音色についてのやりとりを観ていると、
このふたりは、同じ音を聴いていることに気がつく。

ピアニストと調律師という立場の違いもあるし、
クニュップファーは必ずしもピアノの前(ピアニストの位置)で音を聴いていると限らない。
それでも、このふたりが同じ音を聴いていることは、ふたりの対話からわかる。

結局、スピーカーからの音を聴いて、ひとりひとり感じ方が違うのは当然のことといえると同時に、
違うのは、聴く人のレベルが違いすぎているから、ともいえる。
はっきり書けば、それは未熟だからこそ、違って聴こえる。

と同時に、このブログを書き始めたころの「再生音とは……」に書いたこと──、
「生の音(原音)は存在、再生音は現象」からなのかもしれない、とも思えてしまう。

Date: 2月 2nd, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その4)

カラヤンは、脊椎の持病があって、何度も手術を受けていた、ときいている。
1988年の来日公演で、ひとりで歩けなかった理由も、この脊椎によるものだろう。
カラヤンの病状の詳しいことは知らないし、このときのカラヤンの体がどうであったのかもわからない。
ただ、カラヤンの姿を見て、勝手にあれこれ思っているだけのことにすぎないのだが、
おそらくそうとうな痛みもあったのではなかろうか。
カラヤンを見ていて、そう感じていた。

カラヤンは1978年に、リハーサル中に指揮台から落ちている。
そういったことのあったカラヤンが、ひとりで歩けない体で指揮台に立つことは、怖くなかったのか。
また指揮台から落ちてしまう危険性は、健康なときの何倍も高いものだし、
落ちたときの体が受けるダメージもずっと大きなものになることは容易に想像できる。

カラヤンがそういう状態・状況だということはベルリン・フィルのメンバーたちはよく知っていたはず。
「展覧会の絵」で音を外してしまったのも、理由として関係していると思う。

カラヤンとベルリン・フィルの関係は、1983年のザビーネ・マイヤーの入団をめぐって対立し、
この軋轢は日本でも報道されていた。ドイツではかなり報道されていたようだ。

そんな関係になってしまったカラヤンとベルリン・フィル。
それがその後、修復されていったのか、そうでなかったのか(結局ザビーネ・マイヤーは入団しなかった)。
ほんとうのところは当事者だけが知るところなのだが、
すくなくとも1988年の日本公演においては、両者の関係に関する問題はなかった、と思う。

むしろ、1981年の来日公演のときにはなかった、カラヤンとベルリン・フィルの関係があったような気もする。
だからこそ、ベートーヴェンの交響曲第4番と「展覧会の絵」とで、響きの音色が変えてしまえたのだろうし、
「展覧会の絵」冒頭でのミスが起ってしまった──、そうではないだろうか。

Date: 2月 2nd, 2012
Cate: 「オーディオ」考

「オーディオ」考(その13)

田中一光氏のリスニングルームの記事が掲載されたステレオサウンド 45号は、1978年発行。
1993年に発行されたステレオサウンド別冊「JBLのすべて」に掲載されている「田中一光氏 JBLを語る」でも、
ハークネスはやはり健在だ。

カラー4ページのこの記事にリスニングルームの写真は2点。
1点はProject K2 S9500が収められているもの、もう1点がハークネスの部屋である。
45号のときとは部屋の感じも多少変化している。

左右のハークネスのあいだには、やはりテーブルがある。椅子もある。
ただテーブルの細部の造りは多少異っているし、それにテーブルの幅が1.5倍ほど広くなっている。
そのことと関係してだろうが、椅子も45号のときはハンス・ウェグナーのモノだったが、
「JBLのすべて」では別の椅子に、それも2脚置かれている。
ハークネスの上に置かれているライトは写真をみるかぎりでは、45号と「JBLのすべて」、どちらも同じモノだ。

どちらが好きかといえば、45号のほうが、私は好きである。
最初の印象が強かったためでもあろうが、インテリアの一部として、
部屋の雰囲気そのものに溶け込んでいる感じを、より強く受けるからのような気がする。

「JBLのすべて」でのハークネスは、45号のときよりもスピーカーシステムとしての存在感がはっきりしている。

田中一光氏によるふたつのハークネスが置かれているリスニングルームの写真を見る順番が違っていたら、
それに見たときの年齢も関係しているから、どちらがいいとか、そういったことではない。
ハークネスが、田中一光氏のリスニングルームにおいては、家具として部屋に溶け込ませるように置かれている、
このことに注目してほしい。

田中一光氏の、もうひとつのスピーカーシステム、
S9500のあいだにはスクリーンがあるだけで、テーブルも椅子もない。

Date: 2月 1st, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その3)

このときのカラヤン/ベルリン・フィルの公演はテレビでも放映されたようであるから、
ご覧になった方も多いと思う。
私が行った日もテレビで放映されたらしい。

「展覧会の絵」の出だしのトランペットが、音を外した。
ベルリン・フィルのトランペットが音を外した。
(この1988年の日本公演はすべて数年前にCDとして出ているが、この部分はデジタル処理で処理されている。)

唇が乾いていたりすると音を外しやすいのがトランペットだときいている。
そのせいだったのかもしれない。
けれど、そんなことはささいなことでトランペットにつづく響きを聴いて、心底驚いた。

休憩前に聴いたベートーヴェンとは、響きそのものが変っていた。
それこそ、休憩時間の間にベルリン・フィルのメンバーがまるごと入れ替ってしまったかのような、
それほどの響きの変化であった。
同じカラヤンの指揮で、同じベルリン・フィルなのに、20分ほど前に聴いた響きとは違う響きが鳴っていた。

こんな芸当はベルリン・フィルだからこそ、できるのだろう。
ウィーン・フィルではウィーン・フィルの音色が濃いから、こうはいかない、と思う。
ほかの指揮者でも、こうはいかない、と思う。
(だから、この日のCDは、ベートーヴェンの4番と「展覧会の絵」とでは、
響きが驚くほど違ってい鳴り響かなければ十全な再生とはいえないのだが……)

「展覧会の絵」のときも、ベートーヴェンのときと同じで、カラヤンはひとりでは歩けない。
なのに指揮台の上では、そんなことは微塵も感じさせない。
音楽にも、当り前のことだが、まったく感じさせない。

このとき、カラヤンを凄い、と思っていた。
五味先生の影響から、カラヤンに対しては幾分否定的なところがないわけではない。
それでも、この日のカラヤンは、そんなことは関係ない。
この日感じた凄さは、もっとずっと後になってきて、その重さが増してきている。

Date: 1月 31st, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その2)

ひとりで歩けないカラヤンをみていると、どうしてもひとりで立っていられるようには思えない。
立てたとしても指揮台後方のパイプにもたれかからないと無理なのではないか……、
そんなことを考えながらカラヤンが指揮台にたどり着くのを見ていた。

カラヤンは立っていた。ひとりで立っていた。何の助けもなく指揮をはじめた。
ついさきほどまでの、あの姿はいったい何だったのだろうか、
もしかして芝居だったのか……、カラヤンのことだからそんなことはない。

椅子に坐って指揮、という選択もあったのかもしれない。
カラヤンの歩き方をみていると、立っているのが不思議でしかない。
なのに指揮ぶりは、指揮しているカラヤンだけを見た人は、
指揮台にたどり着くまでのカラヤンの姿は絶対に想像できない。

ベートーヴェンの交響曲第4番だから、演奏時間はそれほど長くはない。
それでも、このときのカラヤンの体調からしたら、第4交響曲を演奏しおえる時間は、
そうとうにしんどい時間ではなかったのだろうか。

響いてきたベートーヴェンの第4番は、
7年前に同じ東京文化会館で聴いたベートーヴェンの第5番とははっきりと違っていた。
同じベルリン・フィルであっても響きそのものが違うように感じた。
7年のあいだにベルリン・フィルの楽団員の入れ替えの多少はあったのかもしれないけれど、
ベルリン・フィルはベルリン・フィルである。そのことによって大きく変化することはない。

なのにカラヤンの指揮するベルリン・フィルは、
こんな響きだったのか、と──7年前とは坐っている席は違う、今回はS席だったが──、そんな違いではない。
ベルリン・フィルが、というよりも、カラヤンが変っていたように感じていた。

演奏がおわり引き上げるときも、ひとりでは無理でおつきの人が支えて、だった。
休憩時間がすぎ、「展覧会の絵」がはじまる。

Date: 1月 30th, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その1)

最近、なぜかよくカラヤンの姿を思い出す。
1988年、カラヤン最後の来日となった公演でのカラヤンの姿を、今年になって何度も思い返している。

カラヤンの助言も参考にされたサントリーホールが完成したのは1986年。
こけら落としはカラヤンだったが、結局は小澤征爾が代役となった。
そんなことがあったので、
1988年、ベルリン・フィルとの来日は、これがカラヤンを見れる最後の機会かもしれない、と思い、
音楽評論家の諸石幸生さんに無理をいってチケットを一枚譲っていただいた。
東京文化会館での公演だった。

カラヤンの公演に行くのは、このときが2回目だった。
最初は1981年の、やはりベルリン・フィルとの来日のときだった。
まだ学生でふところにまったく余裕がなかったから、なんとかA席かB席のチケットを買って行った。
ベートーヴェンの交響曲第5番とヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリンはアンネ=ゾフィー・ムター)。
このときのカラヤンは颯爽としていた。

1988年は、ベートーヴェンの交響曲第4番とムソルグスキーの「展覧会の絵」。
1986年の来日をキャンセルにしたカラヤンだから、それに最後の来日なるかもしれない、と思っていたから、
1981年のカラヤンとは変っていることは承知しているつもりだったが、
ステージ脇から出てきたカラヤンの姿は、その予想をこえる衰えぶりだった。

ひとりで歩けない。
横のおつきの人がカラヤンを支えながら、いまにも倒れそうな足どりでカラヤンが表われた。
これで指揮ができるのか、とそのとき誰もが思っていたのではなかろうか。

プライドの高いはずのカラヤンのことだから、こんな姿を聴衆の前にさらしたくないはずだろうに……、
と思うとともに、
プライドの高いカラヤンだからこそ、人の助けを借りながらも自分の足で登場してきたのかもしれない。

指揮台に目を移すと、そこには一般的な指揮台しかない。
指揮者が後に落ちないようにコの字に曲げたパイプがつけられている、よく見る指揮台で、
そこには椅子はなかった。

Date: 1月 30th, 2012
Cate: audio wednesday

第13回 audio sharing 例会のお知らせ

2月1日のaudio sharing例会、13回目のテーマは、
異相の木という視点からのオーディオ(予定)です。

今週水曜日夜7時、四谷三丁目の喫茶茶会記でお待ちしております。

Date: 1月 29th, 2012
Cate: 選択

オーディオ機器との出逢い(その7)

そうやってオーディオ機器と出逢ったことは、幸運だったと思う。

「五味オーディオ教室」でタンノイ・オートグラフ、マッキントッシュMC275、EMT・930stと出逢ったときから、
実際にこれからのオーディオ機器に接し、その音を聴くまでには充分すぎる時間があった。
そのあいだ、何度も何度も「五味オーディオ教室」を読み返し、
オートグラフ、MC275、930stの音を、ではなく、
五味先生がこれらのオーディオ機器をとおして鳴らされている音を頭のなかでイメージしていっていた。

最初に読んだときの鮮烈なイメージを元に、
何度もくり返し読んでいくことと、ステレオサウンドを知って読んでいくことで、
最初に描いた(というよりも描かれた)イメージは、そのたびに更新されていく。

そしてステレオサウンドで働くようになって、
オーディオの体験がそれまでよりも飛躍的に量・質ともに大きく変化していったことで、
より細部まで頭のなかで構築されていく。

美化されていく、のとは違う。
より具体的なイメージとなっていった。
しかもそのイメージはそれまでの体験によって、より上へ上へと行く。
いつまでたっても追いつけないイメージが、私のうちに育っていく。

これは、もう夢の音なのかもしれない。
けれど、「五味オーディオ教室」を最初に読んだときからつねに私の中にあった、
この音のイメージがあったからこそ、
もっともっといい音が出せるはず、という気持になっていた。

オーディオなんてこんなものだろう、という気持は、だからまったくなかった。
絶対にあの音が、あそこまでの音が出るんだ、という確信も「五味オーディオ教室」を読んだときから芽生えていた。

だから、幸運だった。

Date: 1月 29th, 2012
Cate: audio wednesday

第13回(公開対談改め)audio sharing 例会のお知らせ

毎月第1水曜日に行っています公開対談ですが、
前回(1月)で12回1年、今度の2月から2年目にはいります。
これまでは公開対談という形式をとってきましたが、これからは対談のときもあれば私ひとりのときもありますし、
それに今年は音を出すことも考えています。
なので、公開対談からaudio sharing 例会、とします。

2月は1日になります。

夜7時から、始めます。
場所はいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 1月 28th, 2012
Cate: 言葉

「器」

パッケージソフトは、器である。
アナログディスクならば、SP、LP、シングル盤、いずれも音声信号を溝に変換して記録した、音楽の器である。
デジタルになっても、CD、SACDどちらも、やはり音楽をおさめている器である。
テープも形状は異るものの、やはり音楽の器である。

これらパッケージソフトという器に、
音楽をおさめるための録音スタジオ、音楽ホールは、音楽が演奏される器である。

パッケージソフトを聴くための部屋(リスニングルーム)も、また器である。

そしてスピーカーシステムから出た音を受けとめる(聴いている)聴き手も「器」である、と思う。

器にはそれぞれ形と大きさがある、ということを、つい忘れがちになっていないだろうか。

Date: 1月 27th, 2012
Cate: 異相の木

「異相の木」(その5)

複数のスピーカーシステムを所有して鳴らしていても、
そのスピーカーシステムの数が多かろうが、そこに「異相の木」があることにはならない。

スピーカーシステムはつねに1組しか所有しない、という人も一方にいる。
こういう人に「異相の木」と呼べるスピーカーシステムがないか、というと、必ずしもそうではない。
たしかに鳴らしているのは1組のスピーカーシステムであっても、
オーディオに興味をもち始めてこれまでずっと同じスピーカーシステムを使ってきた、
鳴らしてきたという人はまずいないだろう。
何度かはスピーカーシステムを交換している。
その過程の中で、異相の木があったかもしれないからだ。

そして異相の木は、サブスピーカーではない。
メインのスピーカーシステム、メインのシステムとは別に、
もうすこし気軽にゆったりと音楽を聴きたいときのためのシステム(スピーカーシステム)は、
あくまでもサブスピーカーシステム、サブシステムであって、
サブスピーカーシステムが、異相の木であることは、まずない。

黒田先生は、異相の木として、ヴァンゲリス・パパタナシウの音楽をあげられている。
ヴァンゲリスの音楽を、異相の木としてうけとめる聴き手もいれば、そうでない聴き手もいる。
すべての聴き手にあてはまる「異相の木」は存在しないものだろう。

スピーカーシステムの異相の木も同じく、すべての聴き手によって「これが異相の木です」といえるモノはない。
私にとって異相の木であるスピーカーシステムは別のひとにとっては、
ごく当り前のスピーカーシステムであったりするし、その反対もある。

黒田先生が「異相の木」を書かれたステレオサウンド 56号は1980年9月に出ている。
ヴァンゲリスの最初のソロ・アルバムは1968年に出ていて、
約10年の間、16枚のアルバムがつくられ、黒田先生は聴いてこられている。
そして、こう書かれている。
     *
ただ、この木は、ほかの木とのつりあいがとれない。その意味では、あいかわらず、いまも異相の木である。どこかちがう。この庭になじもうとしない。庭木であることをみずから拒んでいるかのようである。しかし、であるからといって、この木をうえておくことをあきらめようとは思わない。木と庭の主との間の力学が、そこに生じる。一種の緊張関係である。
     *
黒田先生にとって、ヴァンゲリスは1968年からずっと「異相の木」であるわけだ。

Date: 1月 27th, 2012
Cate: 瀬川冬樹

瀬川冬樹氏のこと(YouTubeより)

1980年か1981年ごろのものと思われますが、
この時代のことを思うと、これが残っていたことはうまく言葉では表現できないものがあります。
30年ぶりにきく瀬川先生の話──。

YouTubeに、BBCモニターについて語られる瀬川先生の動画が公開されています。

昨年末にYouTubeに公開され、
それを今日、facebookで知りました。