映画「ピアノマニア」(続々続・観てきました)
何度か私も書いていることであるし、他の人も同じことを語られたり書いてたりすることに、
同じ場所で同じ時間に、ある音を聴いても同じ音として聴き取っているわけではない、ということがある。
このことは何度か経験してきたことでもある。
人ひとりひとり感性が違うから、それにわずかとはいえ同じ場所に坐って聴くことは不可能だから、
物理的にも音の変化があるのだから、違って聴こえて当然、ということがいえるといえばいえる。
映画「ピアノマニア」での、
ピアニストのピエール=ロラン・エマールとスタインウェイの調律師、シュテファン・クニュップファーの、
「フーガの技法」に必要なピアノの音色についてのやりとりを観ていると、
このふたりは、同じ音を聴いていることに気がつく。
ピアニストと調律師という立場の違いもあるし、
クニュップファーは必ずしもピアノの前(ピアニストの位置)で音を聴いていると限らない。
それでも、このふたりが同じ音を聴いていることは、ふたりの対話からわかる。
結局、スピーカーからの音を聴いて、ひとりひとり感じ方が違うのは当然のことといえると同時に、
違うのは、聴く人のレベルが違いすぎているから、ともいえる。
はっきり書けば、それは未熟だからこそ、違って聴こえる。
と同時に、このブログを書き始めたころの「再生音とは……」に書いたこと──、
「生の音(原音)は存在、再生音は現象」からなのかもしれない、とも思えてしまう。