「異相の木」(その5)
複数のスピーカーシステムを所有して鳴らしていても、
そのスピーカーシステムの数が多かろうが、そこに「異相の木」があることにはならない。
スピーカーシステムはつねに1組しか所有しない、という人も一方にいる。
こういう人に「異相の木」と呼べるスピーカーシステムがないか、というと、必ずしもそうではない。
たしかに鳴らしているのは1組のスピーカーシステムであっても、
オーディオに興味をもち始めてこれまでずっと同じスピーカーシステムを使ってきた、
鳴らしてきたという人はまずいないだろう。
何度かはスピーカーシステムを交換している。
その過程の中で、異相の木があったかもしれないからだ。
そして異相の木は、サブスピーカーではない。
メインのスピーカーシステム、メインのシステムとは別に、
もうすこし気軽にゆったりと音楽を聴きたいときのためのシステム(スピーカーシステム)は、
あくまでもサブスピーカーシステム、サブシステムであって、
サブスピーカーシステムが、異相の木であることは、まずない。
黒田先生は、異相の木として、ヴァンゲリス・パパタナシウの音楽をあげられている。
ヴァンゲリスの音楽を、異相の木としてうけとめる聴き手もいれば、そうでない聴き手もいる。
すべての聴き手にあてはまる「異相の木」は存在しないものだろう。
スピーカーシステムの異相の木も同じく、すべての聴き手によって「これが異相の木です」といえるモノはない。
私にとって異相の木であるスピーカーシステムは別のひとにとっては、
ごく当り前のスピーカーシステムであったりするし、その反対もある。
黒田先生が「異相の木」を書かれたステレオサウンド 56号は1980年9月に出ている。
ヴァンゲリスの最初のソロ・アルバムは1968年に出ていて、
約10年の間、16枚のアルバムがつくられ、黒田先生は聴いてこられている。
そして、こう書かれている。
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ただ、この木は、ほかの木とのつりあいがとれない。その意味では、あいかわらず、いまも異相の木である。どこかちがう。この庭になじもうとしない。庭木であることをみずから拒んでいるかのようである。しかし、であるからといって、この木をうえておくことをあきらめようとは思わない。木と庭の主との間の力学が、そこに生じる。一種の緊張関係である。
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黒田先生にとって、ヴァンゲリスは1968年からずっと「異相の木」であるわけだ。