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Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(続・番外)

facebookをみていたら、インターネットのオークションにあるオーディオ機器が出品されていて、
その製品説明に、あるオーディオ評論家が使っていたもの、と書いてある。

そこにははっきりと誰とは書いてなく、イニシャルだけだった。
それでもながくオーディオをやってきた人であれば、すぐにあの人だとわかる。

オーディオ店でもそうだが、ときどきこうやって、
オーディオ界で名の知られた人が使っていたモノが出てくる。

売る方としては、オーディオ評論家の名前を出すことで高く売りたいわけだ。
買う方としては、あの人が使っていたモノであれば、という思い入れがあって、手を出す。

ほんとうに、そこで名前の出ている人が使っていたモノであれば、
他の人にはそのことはなんら価値がなくても、
ある特定の人には、そのことがなによりもうれしいことであるから、まわりがそのことにあれこれいうことでもない。

でも、世の中にこれまで出廻った、そういうオーディオ機器のうちに、
ほんとうにそうだったモノはどれだけあるのだろうか。
ほとんどの場合が、なんらかの保証があるわけではない。

昨日伺ったオーディオマニアのところで、管球王国のVol.1を見ていた。
それで、あっそうだった、と思い出したことがある。
瀬川先生のマランツのModel 7のことだ。

Date: 1月 13th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(番外)

昔欲しかったオーディオ機器は、誰にでもあろう。
予算が足りずに買えなかった……、
買いにいったらすでに誰かに買われていた……、
すでに製造中止になっていた……、
などの理由であきらめたモノを、どうしても欲しいというおもいを捨て切れずに、
ずっとあとになって手に入れることがある。

となると中古品ということになる。
思い入れのあるモノだけに、程度のいいモノを手に入れたいと誰もがおもう。
だが、なかなか程度のいいモノがうまいぐあいに目の前にあらわれてくれるとは限らない。

それに一見程度の良さそうに見えるモノでも、
自分のリスニングルームに持ち帰ってみるとそうではなかった、ということだってある。

中古品の入手にはいくつかの方法がある。
中古品を扱っているオーディオ店からの購入。
友人・知人からの購入。いまならインターネットのオークションでの購入もある。

友人・知人から譲ってもらうのであれば、誰が使っていたのかがわかる。
それ以外の入手だと、どんな人が使っていたのかはまったくか、ほとんどわからない。

わからないほうがいいことだってある。
知っていることがいいこともある。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その2)

ステレオサウンド 68号のLNP-2 Storyには四台のLNP2が登場している。
シリアルナンバー1001(RFエンタープライゼス社長・中西康雄氏所有)、
シリアルナンバー1010(岡先生所有)、
シリアルナンバー1614(ステレオサウンド試聴室常備)、
シリアルナンバー2667(日本に輸入された最後のLNP2)である。

1001と1010のLNP2はバウエン製モジュールが搭載されていて、
1614と2667はマークレビンソン製モジュールで、
1614は六つのモジュールすべてLD2だが、
2667ではフォノイコライザーのみローノイズ仕様のLD3に変更になっている。

それから1614のLNP2には、瀬川先生が何度か書かれているように、
音質上のメリットからオプションモジュール(LD2)を搭載している。

通常フォノ入力では三つのLD2を通過する。
オプションモジュールを追加すると四つのLD2を信号は通過するわけで、
鮮度重視の人にとっては、モジュールの追加・イコール・音質劣化ということになるわけだが、
追加するメリットもまたあるところが、このアンプをあえて使う面白さにつながっている。

外付けの電源は1001と1010についてきているのは、型番のないタイプで、
サイズものちのPLS150、PLS153よりもふたまわりほど小さい。

こういう大きな違いの他にも、内部を見ていくとさらに細かな違いがいくつもある。

私が試聴室で聴いたのは、1010と1614のLNPである。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: LNP2, Mark Levinson

Mark Levinson LNP-2(その1)

二日前に誘いの電話があって、今日とあるオーディオマニアのお宅に伺っていた。
そこにはある人から借りているというマークレビンソンのLNP2があった。

シリアルナンバーは1960番台。
入出力端子はCAMAC(LEMO)になっているモノだ。
このLNP2には、マークレビンソン製のモジュールLD2が入っている。

今日は、このLNP2にはバウエン製のモジュールUM201を差し替えて、比較試聴をやってみよう、ということだった。

LD2かUM201か。
その評価は人によって違う。

絶対にバウエン製(UM201)でなければ、という人も少なくない一方で、
私のようにLD2を選ぶ人もいる。

UM201とLD2を聴き比べした人はそう多くはないはず。

私が最初に聴くことができたUM201搭載のLNP2は、岡先生所有のLNP2だった。
ステレオサウンド 68号掲載のLNP2の記事のために岡先生からお借りしたLNP2を、
ステレオサウンドの試聴室で、ステレオサウンドに常備してあったLNP2Lとの比較でだった。

Date: 1月 12th, 2014
Cate: 再生音

続・聴きたいのは……

フルトヴェングラーがいっている。
《感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ。》と。

五味先生が、音の肉体にあれほどこだわられた、その理由は、
このフルトヴェングラーの言葉が語っている。

そういうことだとおもう。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その2)

もともと能率の高いドライバーとホーンの組合せ。
その中でも2441は能率の高いドライバーのひとつであり、
さらにダブルで使うことで能率はさらに増す。

いったいそこまでの能率が家庭で、しかもそう広くない空間で鳴らすのに必要なのか。

それだけではないどんなに精密につくられていようと、
シリアルナンバーが連番であろうと、
スピーカーというメカニズムはまったく同じモノを作ることの難しさは、
実際に同じ製品をいくつか集めて比較試聴してみるとよくわかる。

連番だから、という期待はしないほうがいい。

そういうモノだからふたつのドライバーを同時に鳴らすことは、
メリットもあるけれどデメリットもある。

広いコンサート会場で使うのであれば、デメリットよりもメリットの方が大きくても、
家庭で常識的な音量で鳴らすのであれば、メリットよりもデメリットのほうが大きいのかもしれない。

そんなことは指摘されなくてもわかっている。

でも目の前に2441を二発取り付けた2397とのカタチをみていると、
いつからオーディオは、コマゴマとした理屈をいうようになってきたのだろうか、と思う。

(理屈なんて)どうでもいいじゃないか、このカタチ(姿)を見てみろよ、
と2441(二発)と2397と言っているような気がしてくる。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: カタチ

趣味のオーディオとしてのカタチ(その1)

JBLのコンプレッションドライバー2441は17.8φ×D13.6cmで、重量は11.3kg。
実際に手に持ってみると、指がひっかかるところがほとんどないため、
11.3kgよりもずっと重たく感じる。
黒くて重い鉄のかたまりともいえる。

これと組み合わせているディフラクションホーン2397は、
扇状の形をしていてW66.0×H9.5×34.0Dcm、重量は、JBLには珍しい木製ということもあって4.4kg。

写真でみるよりも実際にふたつ合わせた重量と、その重量のアンバランスさを実感してみると、
余計に、このふたつの組合せからなる形がユーモラスな雰囲気もある。

大型の金属製のマルチセルラホーンとの組合せより、
2397と大型ドライバーの組合せは、趣味のモノとしてみれば、実にいいカタチをしている、と思う。

これは理屈ではない。
オーディオが男の趣味として、オーディオ機器が存在していると感じさせる。

今日、試しに2397にスロートアダプター2329を利用して、2441をダブルで取り付けてみた。
2441は二個しかないから、ステレオ用として音を出すためではなく、
2397+2441×2の実物を見て、それを手にとり実感したい、と思ってやってみた。

2397に2441を二発取り付けてある写真はステレオサウンドのバックナンバーにも載っている。
どんな感じになるのかはだいたいはわかっていた。

それでも実際に取り付け作業を一人でやっていると、
ずしっとした重量が、なんともたのもしいと思えてくる。

11.3kgがふたつで22.6kg。2397の4.4kgがそれに加わり、
2329の重量(2kg以上はあるだろう)を合計すると30kg近くなる。

しかも重量バランスのアンバランスさは、さらに増す。
ユーモラスな印象も増してくる。全体の、モノとしての迫力はもっと増している。

Date: 1月 11th, 2014
Cate: background...

background…(その3)

ポール・モーリアの「恋はみず色」を初めて聴いているのだとしたら、
聴いている途中で電話がかかってきたり、宅急便が届いたりすることは、いわば邪魔といえる。

「恋はみず色」を、その時初めて聴いている聴き手は、
邪魔がはいればそこで、いま鳴っている「恋はみず色」を止め、用事をすませた後で、
スピーカーの前に座り直して、聴きつづけることだろう。

その際に、中断したところから聴きはじめるのか、それとも頭から聴き直すのか。

ポール・モーリアの「恋はみず色」を家庭で聴くときは、
レコードに頼るかラジオから流れてくるのかのどちらかである。

ラジオの場合、自分の好きな時に聴けるわけではないし、
次にいつ放送されるのかもわからないから、
「恋はみず色」をすでに聴いたことのある聴き手であっても、
ラジオからの「恋はみず色」に、いいメロディだな、と思っていた時に、
電話、宅急便がそこに割りこんできたら、邪魔だと感じるのか。

レコード(アナログディスク、CD、カセットテープなど)で聴いていれば、
電話、宅急便が割りこんできても、もう一度、というより何度でも、
「恋はみず色」のレコードを手放さないかぎり、いつでも聴くことができるわけで、
だからこそ、電話、宅急便などの割り込みがあったとしても、
その間、「恋はみず色」を流しぱなしにするとはいえないだろうか。

レコードで「恋はみず色」を聴く場合でも、
初めて聴くときと、二度目以降に聴くときとでは、
電話、宅急便などの割り込みに対する感情も変っていくのだろうか。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その22)

こんなふうにコーネッタのことを書いていくのは、思っていた以上に楽しい。
そしてタンノイが、いまコーネッタを作ってくれないかな、とも思ったりする。

アルニコ磁石の10インチの同軸型ユニットを搭載して、
いまの時代コーナー型というだけで拒否反応が出るかもしれないから、
オートグラフがウェストミンスターになり、
コーナー型からレクタンギュラー型に変更されたように、
コーネッタもレクタンギュラー型になってもいいと思う。

ただしフロントショートホーンだけは絶対に譲れないけれど。

あと鍵付のサランネットは無しにしてほしい。

でもタンノイがコーネッタを作ってくれることは、可能性としてはまったくゼロに近い。
ならば以前のようにスピーカーユニットを単売してくれないだろうか。

ユニットが手に入れば、コーネッタを現代に甦らせることはそれほど大変なことではない。

こんなことも夢想しながら、なぜこんなにもコーネッタのことが、いまも気になっているのだろうか。
その理由も書きながら考えていた。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その3)

あるオーディオマニアが自分のためのアンプをつくる。
それが仲間内で、音がいい、と話題になり、
メーカーを興したらどうか、ということになり、オーディオメーカーをつくった。

こんな話が、以前はよくあった。
1970年代だけに限らない。

マランツにしても、最初はこれと似たようなところからのスタートである。

まわりにいるオーディオの仲間というのは、
どんなに多くの人がそこにいようとも、
実際に会社を興し市場に乗り出すことに比べれば、圧倒的に小人数でしかない。
それは小さな世界での評価であり、
それがいきなり大きな世界に参入するということは、
どんなに仲間内で評価が高くとも、必ずしも成功するとは(高い評価をえるとは)いえないし、
仲間内での評価よりもずっと高い評価を得ることだってある。

自国ではそれほどではなくとも、他の国では高く評価されることだってあり得る。

自分が欲しいと思うアンプ、自分が理想と考えるアンプ、
とにかくそういうアンプを製品化することで世に問うわけで、
評価とともに、仲間内では得られなかった指摘もフィードバックされる。

仲間内とは、往々にして好みの合う人たちの集団であったりするのだから、
そこでの音の評価は多少の違いはあっても、大筋では一致していても不思議ではない。

だからそこでの評価にどっぷりと浸ってしまうのか、
そこから抜け出して、広い世界からの評価に飛び込んでいくのか。
それをどう受けとめ、どう次の製品にいかしていくのか。

それによって、「音」が変っていく。

Date: 1月 10th, 2014
Cate: 純度

純度と熟度(その2)

ガレージメーカーという言い方がある。
オーディオでは、1970年代ごろから盛んに使われるようになってきた。

この時代、アメリカでは、アンプメーカーを中心として、
ガレージメーカーというしかない規模のオーディオメーカーがいくつも誕生していった。

マークレビンソンのそのひとつであり、GAS、AGI、DBシステムズ、クレル、スレッショルド、
カウンターポイント、コンラッド・ジョンソン、ビバリッジ、スペイティアルなどがある。
思いつくまま書き並べていって、すくにこれだけ出てくるし、
あまりブランドだけを書いていってもあまりここでは意味がないのでこのへんにしておくが、
雨後の筍といえるほど、多くのガレージメーカーが生れ、消えていったメーカーも多い。

このころよく引き合いに出されていたのが、マークレビンソンの成功であり、
マークレビンソンに刺戟されて、というメーカーも実際にあったようだ。

マーク・レヴィンソンというひとりの男(オーディオマニア)が、
自分のつくりたいアンプをつくり、世に問い成功した。
ならば、同じように自分のつくりたいアンプをつくり世に問う人が、レヴィンソンに続いた。

1970年代のオーディオは、ベンチャー企業でもあった。
だから企業した人すべてがオーディオマニアだったのかどうかは断言できない。
電子工学を学び、とにかく成功したい、ということでオーディオのメーカーを興した人がいても不思議ではない。

でも多くのガレージメーカーの主宰者(創業者)は、オーディオマニアだった、と私は思っている。

Date: 1月 9th, 2014
Cate: 終のスピーカー

終のスピーカー(Saxophone Colossus・その6)

だが、まだビリー・ホリデイのLady Dayはかけずに(かけられずに)いる。
理由は特にない。
ただ、まだ鳴らすには早いような気がしているだけだ。

Date: 1月 9th, 2014
Cate: 程々の音

程々の音(その21)

何もコーネッタとほぼ同時代のアンプにこだわっているわけではない。
いいアンプであれば時代は問わない。
にも関わらず、私の中ではコーネッタを鳴らすアンプとして、
トランジスターならスチューダーのA68、真空管ならマイケルソン&オースチンのTVA1が、まずある。

ではコントロールアンプはなんなのか。
スチューダーは業務用ということもあってコントロールアンプはない。
TVA1には一応あることにあるけれど、クォリティ的にTVA1と合わない。

瀬川先生は「コンポーネントステレオの世界 ’77」ではマークレビンソンのLNP2を、
A68と組み合わされているわけだし、LNP2とA68、確かにいい組合せとも思う。

TVA1には瀬川先生はアキュフェーズのC240をもってこられている。
これもいい組合せだし、どちらがいい組合せということも決めるようなものではない。

ただLNP2は、ここでの組合せにはやや高すぎる。
A68の、ほぼ倍の価格である。
となると、C240とA68の組合せはどうだろうか。
合うような、うまくいかなそうな、なんともいえないけれど、候補としては残しておきたい。

LNP2が高すぎるから、といって候補から外しておきながら、
コーネッタの価格からすれば、C240とTVA1、C240とA68にしても、
アンプにシステム全体からすれば重きをおきすぎている。

このふたつのアンプの組合せを高すぎるとしたら、
いっそのことプリメインアンプでまとめたほうがいい気もする。

──こんなふうにコーネッタの組合せを、頭の中で組み立てている。
人はどうなのかわからないけれど、私は組合せをあれこれ考えていくのを楽しみとしている。

オーディオ機器の中には、こうやってこちら側の想像を逞しくしてくれるモノが、
いつの時代にも存在している。

Date: 1月 9th, 2014
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その29)

演奏会で前の方で聴きたいから、ということで、
タンノイからジェンセンのG610Bにスピーカーを替えられた長島先生にとって、
ESLのトリプルスタックもまた、演奏会での前の方で聴く音だった。

長島先生は前の方で、山中先生の聴き方もそうだと思っている。
だが、クラシックを聴く人のすべてが前の方で聴きたい、と想っているわけではなく、
中ほどの席で聴きたい人もいるし、天井桟敷と呼ばれるところで聴きたい、という人もいる。

いわば音源との距離をどうとるのか。
ここでの音源とは、スピーカーと聴き手の距離のことではないし、
スピーカーのどの位置に音像を結ぶのか、その音像と聴き手との距離のことでもなく、
そういった物理的な距離とは異る、
スピーカーそのものが本来的に持つ鳴り方に起因するところの、音源との距離感ということになる。

1980年ごろまでのイギリスのスピーカーは、概ね、やや距離を置いた鳴り方をする傾向が強かった。
BBCモニター系のスペンドール、ロジャース、KEFなど、
アメリカや日本のスピーカーほど音量を上げられないということも関係して、
ひっそりと鳴る感じを特徴としており、そのひっそりと鳴るということは、
眼前で楽器が鳴っているという感じとは結びつかない。

このことは録音の場における、楽器とマイクロフォンとの位置関係にも関係してくることであり、
ピアノの録音にしてもオンマイクで録るのかオフマイクで録るのか、で、
楽器との距離感には違いが出るのと同じである。

Date: 1月 9th, 2014
Cate: JBL

JBLのユニットのこと(ホーンのこと・余談)

ウーファーだと、15インチ・ウーファーとか38cmウーファーという言い方をする。
振動板の口径とユニットの種類を組み合わせているわけだ。

最近ちょっと気になっていることがある。
2インチ・ドライバーとか、1インチ・ドライバーという言い方・書き方である。

これでも通用するといえばそうなのだが、
私もこんな言い方をする人に対して、もうあえて訂正しないようになってしまったが、
通常スピーカーユニットの場合、サイズは振動板の口径のことである。
だが、2インチ・ドライバー、1インチ・ドライバーの場合、
2インチ、1インチが示しているのはドライバーのダイアフラムの口径ではない、
ドライバーの前面、つまりホーンとの取り付け面に開いている穴の口径である。

正しくは2インチスロート、1インチスロートというべきところを、
昨今のなんでも略したがる傾向が、こんなところにまでおよんで、
2インチ・ドライバーという、へんてこな表記になってしまっている。

最近ではオーディオ雑誌でもドライバーとホーンの組合せの記事が載っているわけではない。
市場にも、昔のような各社からドライバーやホーンがあるわけでもない。

そういう時代だから、こんなこまかいことをいっても、
多くの人にとってはどうでもいいことになってしまっているのかもしれない。

けれど、このままにしておけば、
ますます2インチ・ドライバー、1インチ・ドライバーなどという言葉の方が残っていくような気もする。