愛と孤独のフォルクローレ
「愛と孤独のフォルクローレ」が、世界思想社から出ているのを、
昨晩知った。
内容説明のところに、こうある。
《個人の物語を愛し、他者の音を聴かず、堂々と嘘を楽しむ…。》
オーディオも、全くそうだと思った。
「愛と孤独のフォルクローレ」が、世界思想社から出ているのを、
昨晩知った。
内容説明のところに、こうある。
《個人の物語を愛し、他者の音を聴かず、堂々と嘘を楽しむ…。》
オーディオも、全くそうだと思った。
今年は、十数年ぶりに引越しをした。
それから27歳の時に骨折した左膝を、2月に痛めた。
かなり良くなってきたと思っていたら、9月ごろからひどくなってきて、
10月、11月は、けっこう難儀した。
まだ万全とは言えないけど、収まってきている。
後遺症とは、こういうことなのか、と思った。
12月になったら、今度は声が出なくなった。
声がひどくかすれてしまって、人と話すのが辛かった。
最近の飲食店ではタブレットで注文するところが増えてきている。
声がほとんど出ない状態だと、こういう店がありがたいと感じる。
声もようやく出るようになってきたが、それでもまだかすれている。
11月に父が九十になった。その二日後に倒れて入院。病院で年を越す。
そんなふうにばたばたしていたけれど、
今年はaudio wednesdayで音を鳴らせるようになった。
新しい人との出会いもあった。
いい一年だった。
別項「2024年ショウ雑感(その13)」で、土方久明氏をオーディオ評論家(仕事人)と書いた。
いまもそう思っている。
それゆえに土方久明氏の書かれたものを、楽しく読んだとか、
面白かったと感じたことはなかった。
いま書店に並んでいるアナログ vol.86で、
フェーズメーションのCM1500が取り上げられている。
土方久明氏が担当だ。
CM1500のことは、信頼できる耳の持ち主から聞いていた。
かなりいい、と聞いているものの、私はCM1500の音は聴いていない。
ステレオサウンド 233号の新製品紹介記事でも取り上げられている。
こちらの担当は小野寺弘滋氏。モノクロで1ページでの紹介。
その文章は、あっさりしたものだ。
一方、アナログでの土方久明氏の文章からは、熱っぽさが伝わってくる。
おそらくだが、土方久明氏は本音で、このCM1500に惚れ込んでいるのだろう。
そのことが伝わってくる。
聴いてみたい、とも思う。
小野寺弘滋氏の文章では、そんな気持は湧いてこなかった。
ステレオサウンドと、音元出版のオーディオアクセサリーとアナログ。
どちらがどうとかは言わない。それでも時々ではあるが、
ジャーマン・フィジックスのHRS1300の記事でも同じことを感じていた。
ステレオサウンドでは山之内正氏、
オーディオアクセサリーは石原俊氏。
別項で、このことは触れているように、
山之内正氏の文章は、CM1500の小野寺弘滋氏の文章と同じだった。
あっさりしたものでしかなかった。
聴いた人が、そこでの音に何か感じるものがなかったのだろうから、
それ以上のことを、その文章に求めたところで肩すかしを喰らうだけだ。
それでもHRS1300の石原俊氏の文章、
CM1500の土方久明氏の文章が、一方にある。
ウエスギのU·BROS333OTLとともに、
今年の新製品で聴いてみたいと思ったCM1500である。
ソーシャルメディアを眺めていると、フォローしていない人の投稿でも、
ソーシャルメディア側のおせっかいで表示される。
オーディオのことに関しても、そんなふうにほぼ毎日、何かしらの投稿が表示される。
そんな投稿とコメントを読んでいると、この人は何も確認しないのか──、と思うことがしばしばある。
具体的にどういうコメントだったのかを挙げるのはやめておくが、
製品知識として広く知られていることですら、
そこではなかったことのように語られていて、
おかしな方向に話が進むことが少なくない。
しかもコメントしている人の誰も、そのことを指摘しない。
ならばお前がコメントしろ、と言われだろう。
しようかな、と思いつつも、もういいや、という気持もあって、
何もせずに、ここで触れているだけだ。
これも集合知である。
昨日もトーレンスのTD124の整備で出かけていた。
前回、前々回の時には、見落としていたことを見つけた。
TD124は手前左のスピード切替レバーが、電源のON/OFFを兼ねている。
電源スイッチはレバーの真下ではなく、後方にある。
リレーのようなスイッチがあるわけだが、ここにはスプリングが使われている。
今回のTD124では、このスプリングの下を配線が二本通してある。
この配線の太さの分だけスプリングが湾曲している。
このTD124は一度も整備されていないようで、この配線の通し方も最初から、
つまり工場出荷の時点からのままと思っていい。
TD124の他の個体が、ここのところをどう処理しているのかは、私は知らないが、
どう考えてもスプリングの動きを邪魔している。
最初電源が入らなかった原因のようにも思える。
なので私はスプリングを外して、
配線の通り道を変えて、スプリングを装着。
長年湾曲したままのスプリングなので、完全には真っ直ぐな状態には戻らないが、
それでも結構良い感じにおさまった。
今回、私がやったことはオリジナルの状態をいじったとなるのか。
オリジナル至上主義の人からすれば、
工場出荷の状態を変えてしまったのだから、けしからんこと、となるのか。
オーディオの才能について、考えるきっかけがいくつかあった一年。
このオーディオの才能と関係してくることで、「音は人なり」を実感するとともに、
以前から書いてきている「人は音なり」もまた実感していた。
1月8日のaudio wednesdayは、ふたたび鳴らすJBLの4343で、
11月の会と違うのは、エラックのリボン型トゥイーターを足すことの他に、
パワーアンプもクレルのKSA100からゴールドムンドのMimesis 9.2へとかわる。
この時代のゴールドムンドのアンプで4343が、どんなふうに鳴ってくれるのか。
D/AコンバーターはメリディアンのUltraDACだから、その相性も含めて、
多少の不安はあるものの、楽しみの方が何倍もまさっている。
今回の4343も宇都宮のHさんが運んで来てくれる。
それだけでなくクレルのKMA100も持ってきてくれるので、
比較試聴も予定している。
ではラグジュアリーオーディオは、いつごろから始まったといえるのか。
私の考えでは、コントロールアンプがリモコン操作が可能になったのが、
ラグジュアリーオーディオの始まりだと捉えている。
普及クラスのコントロールアンプやAV用のコントロールアンプではなく、
音質を追求しながらも、操作性の良さも両立させようとしたコントロールアンプの登場という観点からすれば、
1986年に世に出たプライマーのSeries 928 preamplifierだろう。
928以前にも、そういうコントロールアンプはあったかもしれないが、
日本に輸入された製品ということでは928といえる。
BOSEの901 Series Vが見せてくれた情景は、
私だけのものでしかない。
あの日、一緒に聴いていた人の中で、なんらかの情景が浮かんでいた人は、何人いただろうか。
何人かいたとしよう。
だからといって、私と同じ情景を見ていたわけではないだろう。
確認したわけではないが、きっとそのはずだけ。
グラシェラ・スサーナの「人生よ ありがとう」はスタジオ録音だから、
BOSEの901から鳴ってくる音を聞いていて、
何かがうかんできたとしたら、それは録音光景のはずだ。
いわゆるハイ・フィデリティ再生を目指すのでもれば、
録音の光景が浮かんでこそだろう。
そこには私が思い浮かべていた情景は、わたしだけのものであり、そんなものは要らないということになるはずだ。
余計なものでしかないと言えば、そうであり、それでいい。
「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子があるインタヴューでそう語っていた、
この言葉を思い出す一年でもあった。
オーディオの才能とともに、思い出してもいた。
「人は歳をとればとるほど自由になる」、
そうであろう、と思いながらも、まったく反対になっていく人も少なからずいる。
オーディオマニアに限っても、そういう人はいる。
「人は歳をとればとるほど自由になる」が、いい意味での老化だとすれば、
反対の人のは、老化ではなく劣化なのか──、
そんなふうにも思える。
人は知らず知らずのうちに、緩やかな坂を下っていたりする。
下っていることに気づかない。
だから気づくまで下っていくだけである。
気づける人は、まだいい。どこまで下っても気づかない人もいる。
これが劣化だと思う。
そんなことがいくつかあった一年だった。
昨晩、ハーマンインターナショナルのウェブサイトを眺めていた。
個々のブランドのウェブサイトではなく、
ハーマンインターナショナルについて、なんとなく知りたいと思ってのアクセスだった。
コンシューマーオーディオのページを見ていた。
ラグジュアリーオーディオ、とあった。
そこには、こうあった。
*
ラグジュアリーオーディオの製品は、ピュアな音質、最高の素材、そして感動的なオーディオ体験を求める真のオーディオ愛好家のニーズに完璧に応えています。本物のオーディオ愛好家なら誰もが認めるように、Mark Levinsonの名前は、完璧さは目標ではなく出発点である純粋なオーディオと同義です。Revelでは、音響精度の基準を設定し続けています。
*
マークレビンソンは、
いまでは、ハイエンドオーディオよりもラグジュアリーオーディオなのか、
オーディオマニアはハイエンドと思っていても、
ハーマンインターナショナルとしては、ラグジュアリーオーディオとしてのマークレビンソンである。
これまでにガラスを振動板に採用したモノは、少数ながらもあった。
ガラス製のエンクロージュアもあった。
ガラスと言っても、さまざまな種類があって、
改良もされていることは、誰でも容易に想像できる。
特にスマートフォンの普及は、ガラスという素材をかなり進歩させていることだろうし、
その種類も増やしていることだろう。
なので、またガラスの振動板を採用したスピーカーが登場するかも、と期待していたから、
昨晩、検索してみたら、見つかった。
Dinorex UTGという素材である。
詳しいことはリンク先を読んでほしい。
なかなか面白そうな素材だ。
おそらくなのだが、
来年登場予定のマークオーディオのフルレンジユニットは、
ガラスの振動板とのことだから、
このDinorex UTGを採用しているのだろう。
その音を聴ける日は、早くやってきそうだ。
今年、レコード芸術ONLINEがスタートした。クラウドファンディングを利用しての開始であった。
金額は達成していたけれど、
私が気になったのは、支援者数だった。
大口の支援者が何人かいての達成よりも、
レコード芸術ONLINE的なものでは、支援者の数が、
その将来をある程度握っているのではないだろうか。
集まった金額が同じならば、
小口の人ばかりであっても、その数が多い方が、
継続へとつながっていくはずだ。
私は、そんなふうに考えているから、
レコード芸術ONLINEのクラウドファンディングの支援者の数は、
はっきり言って少ない、と感じている。
これだけしかいないのか──、
クラウドファンディングで支援せずとも有料会員になる人が大勢いれば、
いいわけだが、そううまくいくものなのか……。
無料で読める記事もある。
それを読んでみても、有料会員になろうとは思えなかった。
私のような人もいるし、反対の立場の人もいる。
どちらが多いのか、今のところ判明していない。
audio wednesdayで再び音を出すようになった、この一年。
地味ながらも一番活躍してくれたのは、
エラックのリボン型トゥイーターの4PI PLUS.2かもしれない。
メリディアンのUltra DACも、本当に活躍してくれた。
その活躍ぶりは、これまでのことからも容易に予想できたことだから、
意外性という点では、それほどでもなかった。
この意外性という点を加味すると、
やはり4PI PLUS.2かな、と思っている。
自分で使っているわけだから、その能力の高さはわかっているつもりでも、
この一年で試せた、いくつかのスピーカーとの組合せから鳴ってきた音は、
楽しかっただけでなく、興味深く示唆に富んでもいた。
1月のaudio wednesdayでは、JBLの4343と組み合わせる。
この結果が、どうなるのか。楽しみにしているところ。
(その12)で、オーディオの才能のことについて、少しだけ触れた。
オーディオを趣味として楽しむ上で、オーディオの才能が必要なのかは、
必ずしもそうではないといえるところもある。
私がいいたいのは、オーディオの才能がない人は、
オーディオを辞めた方がいい──、ということではなく、
オーディオの才能がないのに、自分にはあると思い込んでいる人に、
本当にそうですか、と問いたいだけだ。
ただそれでも、オーディオの才能がないのに、
自分にはあると思い込んでいる人に、
そうなってしまった原因の全てがあるとは思っていない。
オーディオの世界ではなく、オーディオの業界に、
多くの原因があると思う。
オーディオ評論家、オーディオ雑誌が、読み手にそう思い込ませてきた面がない、と断言できる人がいるだろうか。
そう思い込ませることで、モノが売れていく側面はある。
そう思い込まされてきたことで、ずっとオーディオを趣味としてきたものの、
ある日、自分のオーディオの才能に疑問を抱くことが訪れる。
そんな時に、どういう態度をとれるのかも、またオーディオの才能に関係してこよう。