「比較ではなく没頭を」──フルトヴェングラーの言葉である。
「音楽現代」7月号から連載がはじまった「フルトヴェングラーの遺言」(野口剛夫)で、
最初に取りあげられたのが、この言葉である。
1954年11月にフルトヴェングラーは亡くなっているから、残されている彼の録音はモノーラルであり、
夥しいライヴ録音には、けしていい録音とは言えないものも多い。
にも関わらず、スタジオ録音、ライヴ録音に関係なく、
CD時代になり、リマスター盤が多く出ている。SACDまで出ている。
マスターテープからの復刻、テープの劣化を嫌って、オリジナルLPからの復刻、
その方法も20ビットハイサンプリングでデジタル化などもある。
それらすべてを聴いたわけでは、勿論ない。聴くつもりもない。
それでも、いくつかを聴くと、たしかに音は異なる。
もっともアナログディスクもなんども復刻されている。
グールドも、リマスターの種類は多い。
オリジナルLPを含めて、どれがいいのか、どう違うのか、比較するのは楽しいといえば楽しい。
情報もモノもあふれているいまは、比較をしようと思えばいくらでもできる。
そして、自分なりに感じたその違いを、簡単に公表できる。
これが、比較することをあおっているような気もする。
レコードに限らない、よりよいモノを求めるために比較する、そんな声がきこえてくる。
けれど、それは比較することに没頭してしまう罠に嵌ってしまうかもしれない。
いうまでもなく没頭したいのは、
フルトヴェングラーの演奏であり、グールドの演奏であるのはいうまでもない。
そして、よりよいモノ、最上のモノを選んだとしたも、
結局、あたえられたものを聴いているのだということに気づいてほしい。