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Date: 9月 18th, 2012
Cate: 書く

毎日書くということ(続々・オーディオを語る、とは)

オーディオ機器について書いてあるのだし、
オーディオ機器、そのメーカーの歴史について書いてあるのだから、
それらの文章は、当然オーディオを語っている──、
そう思い込めれば、こんなことを自問自答しなくてもすむ。

あるオーディオ機器についてあらゆることを調べ上げ、
その時点でわかっていることを出し惜しみすることなく提示する。
さらに音についても、具体的に事細かに書いていく……、
このディスクのこの部分が、こういうふうに鳴った、というぐあいに、
これ以上ないというぐらいに詳細な記事を書く。

そこから得られる情報量は多くなる。
少ないよりも多い方がいい。
しかも良質な、そして誰も知る人のいない情報であれば、
ますます情報量は多いほうが、いいということになる。

ただ、ここで微妙になってくるのは、
そうやって書かれたものは、資料へとなっていく、ということだ。

オーディオを語っている読み物から資料へ、と移行していく。
小林氏の「クラングフィルムの歴史とドイツの名機たち」はいまよりも、
10年、20年と経つほどに資料的価値は増していくであろう。

そうなのだ、私にとって「クラングフィルムの歴史とドイツの名機たち」は有難い資料である。
おそらく小林氏も、資料として書かれているのだと、勝手に思っている。
資料は資料として、あえて留まるからこそ、そこに価値がある。

となると、私がここに毎日書いているものは、はたして、なんであろうか。
オーディオについて書いている、オーディオ機器についても書いている。
人についても書いている。

オーディオについて語る、ということの難しさ、その曖昧さを頓に感じている。
だから書き続けていくしかないことだけが、はっきりとしている。

Date: 9月 18th, 2012
Cate: 書く

毎日書くということ(続・オーディオを語る、とは)

実は、小林正信氏の連載が載っているから、管球王国を購入しようかとすら思ったほどである。
管球王国は創刊号から数年間は面白い雑誌だと感じていた。
それが急速に変貌していってしまった。

どんな雑誌も変化していく。
いい方向のときもあればそうでない方向のときもある。
長い間に変っていく……。

それは承知している。
だが管球王国ほど短期間で変貌してしまった雑誌も、珍しいといいたくなるほど、
その変貌は急激だった。
以前は気に入った号は購入していたが、ここ数年はまったく購入していない。
するつもりもない。
そんな私に、小林氏の「クラングフィルムの歴史とドイツの名機たち」は、
たとえ一瞬であっても買ってしまおうか、と思わせた。

小林氏の連載は、すべての人にとって面白い記事ではないだろうし、
興味のある記事でもないことだろう。
でもドイツのオーディオに関心をもつ人ならば、どこかで手にとって読んでほしい、と思う。

この小林氏の記事もそうだが、
インターネットで読むことができる、数はすくないけれど良質な文章で出合うと、
オーディオを語る、ということの難しさを、どうしても思ってしまう。

小林氏、そして小林氏による記事、インターネットにあるいくつかの記事、
それらを批判するつもりはまったくない。
ただ、そこから得られる知識の量と質に感心し、ときには感謝に近いものを感じながらも、
オーディオを語っている、といえるだろうか、と思ってしまうことがある、ということをいいたいだけである。

小林氏の記事は、記事のタイトルにもあるように「クラングフィルムの歴史」がテーマであろう。
そのことに集中されている。
だから、そこではクラングフィルムの歴史、クラングフィルムのスピーカー、
そこから生れてきたモノについて書かれていかれるのが主旨であり、
それだからこそ私にとって有難い記事なのだが、
これがオーディオを直接的、間接的に語っている記事か、となると、微妙なところがある。

インターネットでめ読めるオーディオ機器の詳しいレビューも、またそうである。
ひとつのオーディオ機器について詳細を書いてある。
そこにある音質評価が信じられる、とか、信じられない、とか、そういう問題ではない。
その記事(レビュー)が、オーディオについて語っているのか、ということである。

Date: 9月 18th, 2012
Cate: 書く

毎日書くということ(オーディオを語る、とは)

毎日ブログを書く。
オーディオに関することを書いている。

書きながら自問自答することがある。
オーディオに関することを書いているわけだが、
オーディオを語っているのか、という自問自答である。

これは自分の行為に対してだけでなく、
誰かの文章を読んでいる時も、そういうときがある。

インターネットのおかげで、
調べたいキーワードを入力すれば、
いつもとは限らなくても、かなり高い頻度でほしい情報が得られるサイトが検索結果として示される。
そういう検索結果によって、この分野では、こんなに詳しい人がいるんだ、と思うし、
個人でオーディオ機器のレビューをやられている人の中にも、
実に細かいところまでチェック(技術的なことを含めて)して、
インターネットという分量の制限のなさということもあって、おしみなく書かれていたりする。

なにもインターネットだけにとどまらない。
たとえばステレオサウンドから出ている管球王国に、
小林正信氏による「クラングフィルムの歴史とドイツの名機たち」という連載が始まった。
いま出ているVol.65に、その2回目が載っている。

シーメンスのオイロダインに惚れたことがあり、シーメンスのコアキシャルをつかっていた私にとって、
この連載は、待ちに待った、という感じの記事である。

ウェスターン・エレクトリックに関しては以前から結構な資料が入手できたものの、
クラングフィルムに関することは、ウェスターン・エレクトリックと比較するとないに等しい感じだった。
限られた情報が断片的でしかなかった。

そのクラングフィルムに関することが、この記事では事細かに調べられ、
そこには出し惜しみなんてことは感じられない。
個人的には、非常にありがたい記事である。

Date: 12月 11th, 2014
Cate: オーディオの「美」

オーディオの「美」(その2)

二年前に、「毎日書くということ(オーディオを語る、とは)」を書いた。

オーディオを語ることは難しい。
オーディオを語っているつもりでも、そこで語られているのは個々のオーディオ機器についてだったり、
そこで鳴っていた音の良し悪し、特徴だったするからだ。

そのことに気づかずに、オレはオーディオを語れる、と豪語する人もいるけれど、
そんな人が語っているのは、オーディオのことでは決してない。

オーディオを語る、とは、を意識すればするほど、難しくなっていく。
同じことがオーディオの「美」にもいえる。

音の美について語るのは難しい。
音を語ることが難しいことだし、そのうえに「美」を語っていくことの難しさが重なってくる。

それでも、まだオーディオの「美」を語るよりは、少しは難しさも和らぐように感じている。