Posts Tagged ステレオサウンド

Date: 9月 14th, 2008
Cate: 4345, 瀬川冬樹

4345につながれていたのは(その1)

瀬川先生の終の住み処となった中目黒のマンションでのメインスピーカーは、JBLの4345。
アナログプレーヤーは、パイオニア・エクスクルーシヴP3を使われていた。
アンプは、マーク・レビンソンのペアだと思っていた。
ML7Lのことも高く評価されていた(ただし、これだけでは満足できないとも書かれていたけど)し、
パワーアンプは、やはりレビンソンのML2Lだと、そう思いこんでいた。

けれど、昨年11月の瀬川先生の27回忌の集まりの時に、
当時サンスイのAさんの話では、アキュフェーズのC240とM100の組合せだった、とのこと。
たしかにステレオサウンドに掲載されたM100の新製品のページは瀬川先生が書かれていたし、
そうとう高い評価以上に、その文章からは音楽に浸りきっておられる感じが伝わってきた、と記憶している。
C240もお気に入りだったらしいから、この組合せで鳴る4345の音と、
ステレオサウンドの記事で、世田谷のリスニングルームで行なわれた、
オール・マークレビンソン(ML2L、6台)で鳴っていた4343とは、もう別世界だろう。

4343と4345の鳴り方の違い、マークレビンソンのアンプとアキュフェーズのアンプの音の違い、
それから世田谷で使われていたEMT927Dstとマイクロの糸ドライブ、
それらとエクスクルーシヴP3の性格の違い、
この時期のステレオサウンドの新製品の記事、
SMEの3012R、JBLの4345、アキュフェーズのM100を記憶の中から呼び起こす。

そこに共通するものを感じるのは私だけだろうか。

Date: 9月 13th, 2008
Cate: 4343, JBL, 五味康祐, 瀬川冬樹

五味先生とJBL

五味先生のJBL嫌いは有名である。
ステレオサウンド刊の「オーディオ巡礼」に収められている「マタイ受難曲」の中では、こう書かれている。 
     ※
たとえばJ・B・ランシングの〝パラゴン〟の音である。知人宅にこいつがあって、行く度に聴くのだが、どうにも好きになれない。あげくには、パラゴンを愛聴する彼と絶交したくさえなってきた。誰が何と言おうと、それは、ジャズを聴くにはふさわしいがクラシカル音楽を鑑賞するスピーカー・エンクロージァとは、私には思えないし、モーツァルトの美がそこからきこえてくるのを聴いたためしがない。私の耳には、ない。知人は一人娘の主治医でもあるので、余計、始末がわるいのだが──世間では名医と評判が高いから娘のからだはまかせているけれど──こちらが大病を患っても、彼には診てもらいたくないとパラゴンを聴くたびに思うようになった。 
まあそれぐらいジムランの音色を私は好まぬ人間である。 
     ※
ここまで書かれている。パラゴンとメトロゴンの違いはあるけれど、
五味先生はパラゴンの姉妹機メトロゴンを所有されていた。しかも手放されることなく、である。 

五味先生がメトロゴンについて書かれていたのは見たことがない。
けれど、数カ月前、ステレオサウンドから出た「往年の真空管アンプ大研究」の272ページの写真をみてほしい。
「浄」の書の下にメトロゴンが置いてあるのに気がつかれるはずだ。

ことあるごとにJBLを毛嫌いされていた。
けれど、新潮社刊「人間の死にざま」に、ステレオサウンドの試聴室で、
4343を聴かれたときのことが載っている。
     ※
原価で総額二百五十万円程度の装置ということになるが、現在、ピアノを聴くにこれはもっとも好ましい組合せと社長(注:ステレオサウンドの、当時の原田社長、現会長)がいうので、聴いてみたわけである。なるほど、まことにうまい具合に鳴ってくれる。白状するが、拙宅の〝オートグラフ〟では到底、こう鮮明に響かない。私は感服した。 
(中略)〝4343〟は、同じJBLでも最近評判のいい製品で、ピアノを聴いた感じも従来の〝パラゴン〟あたりより数等、倍音が抜けきり──妙な言い方だが──いい余韻を響かせていた。(中略)楽器の余韻は、空気中を楽器から伝わってきこえるのではなくて、それら微粒子が鋭敏に楽器に感応して音を出す、といったトランジスター特有の欠点──真に静謐な空間を有たぬ不自然さ──を別にすれば、思い切って私もこの装置にかえようかとさえ思った程である。
     ※
おそらく、このころであろう、ステレオサウンドの記事「オーディオ巡礼」で、
奈良在住の南口氏のところで、4350の音を聴かれ、驚かれている。
さらに前になると、瀬川先生のところで、375と蜂の巣を中心とした3ウェイ・システムを聴かれ、
《瀬川氏へも、その文章などで、私は大へん好意を寄せていた。ジムランを私は採らないだけに、瀬川君ならどんなふうに鳴らすのかと余計興味をもったのである。その部屋に招じられて、だが、オヤと思った。一言でいうと、ジムランを聴く人のたたずまいではなかった。どちらかといえばむしろ私と共通な音楽の聴き方をしている人の住居である。部屋そのものは六疂で、狭い。私もむかし同じようにせまい部屋で、生活をきりつめ音楽を聴いたことがあった。(中略)むかしの貧困時代に、どんなに沁みて私は音楽を聴いたろう。思いすごしかもわからないが、そういう私の若い日を瀬川氏の部屋に見出したような気がした。(中略)
ボベスコのヴァイオリンでヘンデルのソナタを私は聴いた。モーツァルトの三番と五番のヴァイオリン協奏曲を聴いた。そしておよそジムラン的でない鳴らせ方を瀬川氏がするのに驚いた。ジムラン的でないとは、奇妙な言い方だが、要するにモノーラル時代の音色を、更にさかのぼってSPで聴きなじんだ音(というより音楽)を、最新のスピーカーとアンプで彼は抽き出そうと努めている。抱きしめてあげたいほどその努力は見ていて切ない。》
とステレオサウンド16号に書かれている。

Date: 9月 11th, 2008
Cate: ML2L, 瀬川冬樹

思い出した疑問

1980年のことだから、ずいぶん昔のことだが、そのとき、感じていた、ある疑問を思い出した。
ステレオサウンドの夏号(55号)のベストバイの特集(このころベストバイは夏号だった)で、
各筆者がそれぞれのマイベスト3をあげられている。 

瀬川先生が挙げられたのは、スピーカーはJBLの4343とL150とKEFのローコストモデル303、
コントロールアンプは、マークレビンソンのLNP2LとML6L、それにアキュフェーズのC240。
パワーアンプは、たしかアキュフェーズのP400に、マイケルソン&オースチンTVA1、
それにルボックスのA740だった(と記憶している)。 
プレーヤーはマイクロの糸ドライブ、エクスクルーシヴのP3とEMT930stだ。 

疑問に思っていたのは、パワーアンプのベスト3に、
なぜマークレビンソンのML2Lをあげられていないかだった。 
コントロールアンプではLNP2LとML6Lと、マークレビンソンの製品を2つあげられているし、
価格的に高価なものを除外されているわけでもないにも関わらず、ML2Lがない。 

このとき、以前愛用されていたSAEのMark2500は製造中止になり、
新シリーズに移行していたので、Mark2500がないのはわかる。 

ML2Lがないのはなぜ? 
当時理解できなかったこのことも、いまなら、ぼんやりとだがわかる。

Date: 9月 10th, 2008
Cate: 「かたち」, 川崎和男, 菅野沖彦

「かたち」

菅野先生がときおり引用される釈迦の言葉、
最近ではステレオサウンド167号の巻頭言で引用されている──
「心はかたちを求め、かたちは心をすすめる」。

デザイナーの川崎先生の言葉、 
「いのち、きもち、かたち」。 

このふたつに共通している「かたち」。
オーディオに限らずいろんなことを考える時に、 
この、ふたりの言葉は、私にとってベースになっているといえる。 
いままでは「いのち、きもち」が「心」で、 
それが「私」だと、なんとなく思ってきた……。

けれど「かたち」が加わって、はじめて「私」なんだということに、 4年ほど前に気がついた。 

川崎先生の「いのち、きもち、かたち」をはじめてきいたのが、 
2002年6月だから、2年半かかって気がついたことになる。 

正直に言うと、いままで、なぜ「心はかたちを求める」のかが、 よくわからなかったけど、 
「いのち、きもち、かたち」こそが「私」だとすると、 
「かたちを求める」のところが、自然と納得できる。

そして、よく口にしておきながら、 
これもなぜそうなのかが、よくわからなかった 
「音は人なり」という言葉も、すーっと納得できる。 

そして「音は『かたち』なり」とも言いたい。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: ワイドレンジ, 岩崎千明, 瀬川冬樹

ワイドレンジ考(その1)

ワイドレンジの話になると、周波数レンジのことばかり語られることが多い。 
けれども、ワイドレンジ再生とは、
周波数レンジとダイナミックレンジの両方をバランスよく広げることだと考える。 
片方の拡大だけでは、ワイドレンジ再生は成り立たない。 

このことを教わったのは、
ステレオサウンド43号の「故岩崎千明氏を偲んで」のなかの瀬川先生の文章。
そのところを引用する。 
     *
岩崎さんは、いまとても高い境地を悟りつつあるのだということが伺われて、一種言いようのない感動におそわれた。たとえば──「僕はトゥイーターは要らない主義だったけれど、アンプのSN比が格段に良くなってくると、いままでよりも小さい音量でも、音質の細かいところが良く聴こえるようになるんですね。そして音量を絞っていったら、トゥイーターの必要性もその良さもわかってきたんですよ」 
岩崎さんが音楽を聴くときの音量の大きいことが伝説のようになっているが、私は、岩崎さんの聴こうとしていたものの片鱗を覗いたような気がして、あっと思った。

Date: 9月 6th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その8)

瀬川先生の最後の原稿は、ステレオサウンド別冊の セパレートアンプ特集号の巻頭の文章だと言われているが、 
レコード芸術で連載がはじまった「良い音とは何か?」の 1回目の原稿のほうが最後の文章の可能性もある。 

その「良い音とは何か?」からの引用。 
     *
ただひとつ、時間、が必要なのだ。
 ひとつの組合せを作る。接続してレコードをかければ、当然音は出る。しかし、それはごくささやかな出発点にすぎない。ここまでにいろいろ論じてきた音の理想像に、わずかでもせまる音を鳴らすためには、時間をかけての入念な鳴らし込みと調整が、絶対に必要なのだ。接ぎっぱなし、ではとうてい、人を納得させるような音は望めない。
 ならば、どれほどの時間が必要か。ぜいたくを言えばまず二年。せい一杯つめて一年。その片鱗ぐらいを嗅ぎとればいい、というのであっても、たぶん三ヵ月ぐらい。毎日毎日、ていねいに音を出し、調整し鳴らし込まなくては、まともな音には仕上がらない。 
 二年、などというと、いや、三ヶ月だって、人びとは絶望的な顔をする。しかし、オーディオに限らない。車でもカメラでも楽器でも、ある水準以上の能力を秘めた機械であれば、毎日可愛がって使いこなして、本調子が出るまでに一年ないし二年かかることぐらい、体験した人なら誰だって知っている。その点では、いま、日本人ぐらいせっかちで、せっぱつまったように追いかけられた気分で過ごしている人種はほかにないのじゃなかろうか。 
(中略) いや、なにも悠久といったテンポでやろうなどという話ではないのだ。オーディオ機器を、せめて、日本の四季に馴染ませる時間が最低限度、必要じゃないか、と言っているのだ。それをもういちどくりかえす、つまり二年を過ぎたころ、あなたの機器たちは日本の気候、風土にようやく馴染む。それと共に、あなたの好むレパートリーも、二年かかればひととおり鳴らせる。機器たちはあなたの好きな音楽を充分に理解する。それを、あなた好みの音で鳴らそうと努力する。
 ……こういう擬人法的な言い方を、ひどく嫌う人もあるらしいが、別に冗談を言おうとしているのではない。あなたの好きな曲、好きなブランドのレコード、好みの音量、鳴らしかたのクセ、一日のうちに鳴らす時間……そうした個人個人のクセが、機械に充分に刻み込まれるためには、少なくみても一年以上の年月がどうしても必要なのだ。だいいち、あなた自身、四季おりおりに、聴きたい曲や鳴らしかたの好みが少しずつ変化するだろう。だとすれば、そうした四季の変化に対する聴き手の変化は四季を二度以上くりかえさなくては、機械に伝わらない。 
 けれど二年のあいだ、どういう調整をし、鳴らし込みをするのか? 何もしなくていい。何の気負いもなくして、いつものように、いま聴きたい曲(レコード)をとり出して、いま聴きたい音量で、自然に鳴らせばいい。そして、ときたま──たとえば二週間から一ヶ月に一度、スピーカーの位置を直してみたりする。レヴェルコントロールを合わせ直してみたりする。どこまでも悠長に、のんびりと、あせらずに……。 
(中略) スピーカーの「鳴らしこみ」というのが強調されている。このことについても、改めてくわしく書かなくては意が尽くせないが、簡単にいえば、前述のように毎日ふつうに自分の好きなレコードをふつうに鳴らして、二年も経てば、結果として「鳴らし込まれて」いるものなので、わざわざ「鳴らし込み」しようというのは、スピーカーをダメにするようなものだ。 
     *
使いこなしということがオーディオ雑誌やインターネットでも頻繁に語られているけども、
買ってきたばかりのスピーカーに対して、 あれこれ使いこなしのテクニックを駆使したり、
いきなりケーブルやインシュレーターなどのアクセサリーを取っ換え引っ換えするのは、 
はたして正しいことなのだろうか、大事なことだろうか。
そんなに急いで音を詰めていく必要があるのかどうか。 

そして、その行為が、ほんとうに音を詰めていっているのか……。

まずきちんとセッティングする。 
実はこの、きちんとセッティングすることが意外と難しいし、理解されていないように感じることがある。
セッティング、チューニング、エージングを混同しないように。

そのあとは、瀬川先生が書かれているように、 
ゆっくりと好きなレコードを鳴らしていくだけでいいはず。 
そして1年、できれば2年経ったあたりから、
使いこなし(チューニング)を行なうほうがいいのかもしれない。

Date: 9月 4th, 2008
Cate: 黒田恭一

「目的地」

ステレオサウンド38号からもうひとつ。 
黒田恭一氏の文章から。 

「したがってぼくは、目的地変動説をとる。 
さらにいえば、目的地は、あるのではなく、つくられるもの。 
刻一刻とかわるその変化の中でつくられつづけられるものと思う。 
昨日の憧れを今日の憧れと思いこむのは、 
一種の横着のあらわれといえるだろうし、 
そう思いこめるのは、仕合せというべきだが、 
今日の音楽、ないし今日の音と、 
正面切ってむかいあっていないからではないか。」 

いま読んでも、するどくふかいと感じる。
この文章と、アバド、ポリーニによるバルトークのピアノ協奏曲は同時代である。

Date: 9月 4th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その4)

瀬川先生が、ステレオサウンド38号で語られている言葉。 

「ぼくがときどき、ある意味で絶望的な気持ちになるのは、たとえばオーディオ・メーカーのショールームなどで、ぼくの考えている装置を持ちこんで、その場で可能なかぎりの条件を整えて、いつも自分が聴いている音にできるだけ近づけて鳴らしたときに、それを聴きにくださった方のなかに必ず何人か、瀬川さんがいつも書かれていることがこの音を聴いてやっと理解できました、とおっしゃる方がいることです。一生懸命ことばを考えて書きつらねても、ほんの小一時間鳴らした音には及ばないのか、そう思うと、いささか絶望的な気分になってしまう。いったいどうしたらいいんだろうと、ときどき考えこんでしまいます。」 

晩年、瀬川先生は「辻説法をしたい」とまで思いつめられていた、ときいている。

そして、瀬川先生は、オーディオ評論をはじめるにあたって、 
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写された、ともきいたことがある。

Date: 9月 3rd, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その2)

トーレンスのリファレンスがステレオサウンドに登場したのは、
記事としては56号だが、前号(55号)の輸入元ノアの広告にモノクロ写真が載っている。
それほど大きくない写真で、価格は3580000円と書いてあった。
とうぜん、このプレーヤーはいったい何なんだろう……、次のステレオサウンドで紹介されるんだろうな、
きっと、と思いながら発売の待っていた56号の表紙は、リファレンスだった。

安齊吉三郎氏によるリファレンスの写真は、前号のモノクロ写真とは違い、「おおっ」と思わせるとともに、
記事をすこしでも早く見つけたい、読みたいという気持ちにさせてくれた。

いそいでページをめくって、瀬川先生の新製品の記事を見つけて、 読む。
しばらくして、また読む、何度も読んでは、どんな音なのか妄想をふくらまして、
聴きたい、とにかく聴いてみたい、でもここ(熊本)では、おそらく聴く機会は訪れないだろう……。

(その1)で書いた瀬川先生の「オーディオ・ティーチイン」は、 
土日の二日間行われ、毎回テーマが異なってて、 カートリッジの聴き比べのときもあったし、 
セパレートアンプのときも、スピーカーの時もあり、
とにかく行けば、いろんなオーディオ機器の音が聴けるだけでなく、 
瀬川先生が、どのレコードのどの部分を、試聴に使われるのかがわかるだけでも、 すごくためになったし、
レコードの扱い方、 カートリッジの取り扱い方などなど、 ほんとうにティーチイン(Teach in)の内容だった。

1980年秋の「オーディオ・ティーチイン」。 
土曜日は、カセットデッキとカセットテープの試聴。 
正直「今日はカセットかぁ……」とがっかりしたものの、実際にイベントが始まると、やはりおもしろい。 
瀬川先生の話が面白い。でも、どうしても目は、 すでに設置してあるリファレンスばかりを見ている。 
イベントの終わりに、 瀬川先生が、
「明日は、このリファレンスの音をじっくり聴いていただきます」 と言われた。 

「明日なのかぁ……」とがっくり。 
この時期(高校3年の秋)、 オーディオに熱を入れすぎて、学校の成績ががくっと落ちて、
しかもテストの結果が出たばかりで、母に、 「今回は行ってはだめ」と言われたのを、 
なんとか説得して、一日だけ許可をもらっていたので、 
「明日はどうやっても無理だな……」とあきらめながら会場を後にする。

当日の朝も「行きたい」とは口にしなかったというかできなかった。 
でも、なぜか、時間ギリギリになって、「行っていいよ」と母の口から、
まったく予測できなかった、それだけに待っていた言葉が出てきた。 

イベントがはじまったころは、 いつもと変らない感じの瀬川先生が、 
最後に「火の鳥」を鳴らされた後は、 すごくぐったりされていた。 

そして、車内での、さらにぐったりされている瀬川先生の姿。 

リファレンスの音を聴けたことで、 そしてその凄さに、 「火の鳥」での音楽体験に満足していた私は、 
「次回のイベントはいつだろうか、テーマは何かな」と、 
あれこれ思いながら、そして今日行くことを許してくれた母に感謝しながら帰宅。 

このときは、1年後に、もっと母に感謝することになるとは、まったく思っていなかった。 
「オーディオ・ティーチイン」の次回はなく、この回で終ってしまう。 

そして約一年後の、1981年12月19日。 
当時、ステレオサウンドはなかなか発売日に書店に並んでいなくて、 
このときも、いつもどおりというか、それ以上に遅れていた。 
それで、書店よりも二日ほど早く並ぶ 秋葉原の石丸電気レコード館の書籍コーナーに行っても、並んでいない。
かわりに手にとったのは、レコード芸術。 
夏に一回だけ掲載され、その後休載の瀬川先生の新連載、 
再開されたかな、と思いながら、ページをめくっていた。 目に飛び込んできたのは、連載記事ではなく、
瀬川先生の追悼記事。 

元気になられるもの、回復されるもの、と思い込んでいただけに、 
ほんとうに頭の中が真っ白になった。
後にも先にも、頭の中が真っ白になったことは、このときだけである。

その記事を読み終わって、嘘だろう……、と思って、書棚に戻して、 
こんなことをしたって、亡くなられた事実が変わるわけではないとわかっていても、 
信じられなくて、もう一度手にとって、読む。 

冬休みに入っていたので、数日後に帰省して、 熊本でステレオサウンドを購入。 
追悼記事が載っていた。 
母に感謝した。 

もし、あの日、観た瀬川先生の姿が最後になるとは……。
いくつかオーディオ雑誌の追悼記事を読んでいてわかったのは、 あの日の「オーディオ・ティーチイン」の直後、 
熊本で手術を受けられたということ。 

なぜだったんだろう、といまでもときどき考える。 
オーディオに関心も理解もあまりない母が、 
当日の朝、ぎりぎりになって行くことを許してくれたのは、 
女性特有の直感だったのだろうか、それとも単なる気まぐれだったのか……。 

あの日のリファレンスの音、 
瀬川先生が聴かせてくれたリファレンスの音は、
私にとって、どういう意味を持つのか、それから何を得たのか、ということも、いまでもときどき考える。 

ひとつ確実に言えるのは、大きな感動があったということ。 

感動という言葉、よく使うけれども、 感動とはどういうことだろうか。 
辞書には、美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け、心を奪われること、とある。 
でもこれだけではない。 

なぜ「動く」という字が使われているのか。 
やはりなにかが動くんだろうな、と 、あの日のリファレンスの音を聴いていたときのことを思い出し考える。 
感動とは、心の中になにかが生れたり、 沸きあがってくることであり、 
だからこそ、「動」がつくんだろう、と。 

いまは残っていないけど、 リファレンスの音を聴いた感想を、その時、文章にしたことがある。 
誰かに読んでもらうわけではないけれども、 どうしても書きたくなって、拙い文章で、かなりの量を書いた。 

そういう感動を与えてくれたリファレンス、 瀬川先生の想い出とも繋がっていて、 
あらゆるオーディオ機器の中で、 私の中で、いちばん印象深い存在になっている。

Date: 9月 3rd, 2008
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

言いたいこと

インターネットでは匿名がある程度ある。
だから五味康祐先生、瀬川冬樹先生について書かれているものの中に、
そういうとき必ず現われてくるのが、上っ面だけで、否定的なことを書く人だ。

書いている内容が古い、と書く。 
でも、そういう人たちが言っているのは、
おふたりの文章に登場するオーディオ機器が古いということにしかすぎない。
私にいわせれば、内容が古いわけではない。 

それで役に立たない、と書く。なぜ、こうも表面的なのか。 
そして、功罪がある、とも書く。 

その人たちに言いたい。毒にも薬にもならない文章を読んで、どこが楽しいのか、と。 
功罪があるのは、なにかを残してきたからである。だから、功も罪もある。 
功も罪もない人に対して、関心をもてる人たちがうらやましい。 

読む人によっては、おふたりの文章は、薬になり、毒になろう。 
同じ人にとっても、同じ文章が、時には薬なり、毒になろう。 
それでいいと思う。 

だからこそ、繰り返し読むのである。 

これも言っておきたい。 
「けっこう間違いが書いてあるだろう」という声も聞く。 
たしかに、とくに五味先生の文章には、すこしばかり間違いが書いてある。 
しかし、あくまでも間違いであり、嘘でない。 

間違いは書かないけれど、嘘を書く人の文章と、どちらを信じるのか。 

そして、五味康祐がいなければ、これは断言する、 
ステレオサウンドは存在していない。 
芸術新潮に連載されていた「西方の音」に共感し、感動し、勇気づけられた男が、
上京し創刊したのがステレオサウンドなのだから。