Date: 1月 24th, 2013
Cate: 境界線, 録音
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録音評(その2)

再生音の芸術性は、それ自体きわめてあいまいな性質のもので、何がいったい芸術的かを的確に言いきるのはむつかしい。しかし、たとえばSP時代のティボーやパハマン、カペー弦楽四重奏団の演奏を、きわめて芸術性の高いものと評するのは、昨今の驚異的なエレクトロニクスの進歩の耳に馴れた吾人が、そう間違っていないことを彼らの復刻盤は証してくれるし、レコード芸術にあっては、畢竟、トーンクォリティは演奏にまだ従属するのを教えてくれる。
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これは五味先生が、ステレオサウンド 51号掲載の「続オーディオ巡礼」に書かれていることである。
たしかに「トーンクォリティは演奏にまだ従属」している。

従属しているからこそ、クラシックのCDでは、いまだ復刻盤が新譜のように発売され、店頭に並ぶ。
昨年末、ふたつのレコード店のクラシックCDの売上げがウェヴサイトにて公表された。
ひとつはHMV、もうひとつは山野楽器銀座店である。

どちらもクラシックのCDの売上げなのに、そこに並ぶタイトルは重なっていない。
HMVに関しては、ブリュッヘン/18世紀オーケストラにベートーヴェンの新録をのぞけば、
他はすべて復刻盤、
もしくはいまだCD化されていなかった音源(バーンスタイン/イスラエルフィルハーモニーのマーラーの九番)、
山野楽器では日本人演奏家のCDが目立つし、多くが新録音の新譜である。

山野楽器の売上げは銀座店のみであり、
HMVの売上げはオンライン通販のものである。
つまり片方は銀座という街に来る人による売上げであり、
他方は日本全国の人による売上げ、といえよう。

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