手がかり(その8)
オーディオ機器はそれぞれ具象的な存在であっても、
それらの集合体から出てくるのは具象的な存在ではない音である。
音には目に見える形はない(だからといってかたちがないわけではない)。
抽象的であるからこそ、捨象も要求されるわけだが、
このことについては別項「ハイ・フィデリティ再考(原音→げんおん→減音)」でふれているところだ。
だから、ここではふれないが、音楽もまた抽象のものである。
けれど、音楽には歌がある。
歌は言葉によってうたわれる。
歌は、それも母国語(つまり日本語)でうたわれる歌は、
音楽の中における具象ともいえる。
だから、歌(私にとってはグラシェラ・スサーナによる日本語の歌)が、
最初の重要な、音の判断基準となっていった。
これがもし、クナッパーツブッシュの「パルジファル」のLPを、
このLPの存在を知ったばかりの15歳のころに買っていたとしたら、どうなっていたであろうか。
背伸びしたい年ごろである。
クナッパーツブッシュの「パルジファル」を聴いて、
なにもわからずに「これがバイロイトの音なのか」などと思っていたかもしれない。