続・再生音とは……(その2)
このブログを書き始めの最初のころ「再生音に存在しないもの」を書いている。
これも、13歳のときに「五味オーディオ教室」を読んだときから、ずっと頭のどこかにありつづけている。
「生の音(原音)は存在、再生音は現象」と考えるのも、
再生音には存在しないものがあるから、である。
けれど、それがなんなのか、がいまひとつはっきりとしてこない。
もしすこしでつかめそう、というより、指がそこに届きそうな感じはしているものの、
まだまだ、はっきりと把握するにはそうすこし時間はかかりそうである。
「再生音に存在しないもの」では五味先生の文章を引用した。
そこにはルノアールの言葉を、五味先生は引用されている。
「画布が光を生み出せるわけはないので、他のものを借りてこれを現わさねばならない」とある
「光は存在しない」ことは、再生音でいえばいったいなんなのか。
これがわからなければ、「他のもの」を借りてくることもできない、といえる。
何を借りてきていいのかもわからず、やみくもになにもかも借りてきたところで、なんになろうか。
何がいったいないのか、
借りてくる「他のもの」とはなんのなのか──、
このことについて考えていくときに、ずっと以前の大型スピーカーシステムにあって、
いまのハイエンドと呼ばれているスピーカーシステムにないものが、たしかにある──、
そんなふうにも思えてくる。