Date: 12月 14th, 2012
Cate: 手がかり
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手がかり(その6)

上杉先生は、沢たまきの「ベッドで煙草を吸わないで」を、
試聴レコードとして使われていたことは、よく知られている。

といっても私がいたときにはすでに、このレコードは使われていなかったし、
私がステレオサウンドを読みはじめたときにもすでに使われていなかったけれど、
それでも何かで読んで、私も知っていたくらいであるから、そうとうに知られている話である。

池田圭氏の美空ひばり、上杉先生の沢たまきの「ベッドで煙草を吸わないで」、
柳沢功力氏のローズマリー・クルーニー、私のグラシェラ・スサーナ、
これらは(私の勝手な想像ではあるが)、すべて共通している、それぞれの人にとってのそれぞれの歌手である。

前回、この項で引用した瀬川先生の文章を、もう一度思い出してほしい。

そこには、「この音のここは違う、と欠点を指摘できる耳」を作ることについて書かれている。
そのためには「理屈の先に立たない幼少のころ」に、
「頭でなく身体が音楽や音を憶え込むまで徹底的に音楽を叩き込んでしまう」ことを説かれている。

「音を少しずつ悪くしていったとき、あ、この音はここが変だ、ここが悪いと、とはっきり指摘」する、
これは音を良くしていったときに気づくことよりも難しい。

なぜなのか。
結局、音を聴く人の中に、はっきりとした音を判断する手がかりがないためだと思う。

私にとってグラシェラ・スサーナは、いわば最初の「手がかり」でもあった。
はっりきとした手応えのある「手がかり」であったからこそ、
このグラシェラ・スサーナという手がかりをもとに、次の手がかりを自分の中につくっていき、
グラシェラ・スサーナという手がかりを、次の段階では足がかりにして、
次の手がかりに手をかけて上に登っていけたように、いまは思っている。

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