続・再生音とは……(その1)
クラシックのコンサートホール、ジャズのライヴハウスに足をはこんで聴くものと、
自分の部屋、オーディオ仲間の部屋などでスピーカーから鳴ってくるものは、
どちらも音である、にもかかわらず、このふたつの音は音として同じととらえていいものだろうか、
そして音楽を構成する音として考えたときに、生の音と再生音の違いがあるのかないのか、
私はあると考えているし、そうだとしたら、どんな違いが、このふたつの音にはあるのたろうか。
このブログを書き始めたころ、「再生音は……」というタイトルで、3行だけの短い文を書いた。
「生の音は(原音)は存在、再生音は現象」
そう書いている。
じつはこのときは、ほとんど直感だけで、これを書いていた。
書いてしまったあとに、これまでにあれこれと書き連ねていくうちに、
「生の音(原音)存在、再生音は現象」を思い返すことが幾度となくあり、
次第に重みが増してきて、考えるようになってきている。
だから、ここから、タイトルを少しだけ変えて、「続・再生音は……」とした。
こうやってタイトルを改めて書き始めることにしたのは、もうひとつわけがある。
先日、「使いこなしのこと(まぜ迷うのか)」を書いた。
これに対して、facebookでコメントをいただいた。
「よい音は一つでない。だから迷うのです。」と。
経験を多く摘んだ人ほど、このコメントに首肯かれることだろう。
志向(嗜好)する音とは違えども、いい音だな、とおもえる音はたしかに世の中にはある。
「よい音は一つでない」に反論したり、否定しようという気はまったくない。
けれど、それでもあえていえば(そして、先に結論を書いてしまうことになるが)、
現象としては、いい音はひとつではない、ことになっても、
思想的にはいい音はひとつである。
いまそうおもうようになった、おそらくそうおもいつづけることだろう。