Date: 11月 9th, 2012
Cate: 正しいもの
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正しいもの(その14)

バックボーンはひとりひとり違う。
同じ時代を同じ長さだけ生きてきたふたりがいたとしても、その人なりのバックボーンがあって、
同時に共通するバックボーンもそこには生れているはず、と思う。

1ヵ月ほど前だったか、Twitterで、
オーディオ評論家は60すぎても若手と呼ばれる特殊な世界、
といった書込みがあった。
そういうところはたしかにある。

けれど、ふりかえってみれば、これはやはりおかしなことであって、
瀬川先生は46で、岩崎先生は48で、
オーディオ評論家ではないけれど五味先生は58で亡くなられている。

瀬川先生も岩崎先生も、私がステレオサウンドを読みはじめた1970年代後半、
若手のオーディオ評論家ではなかった。

オーディオの世界には、岩崎先生、瀬川先生よりも上の世代の方々はおられた。
オーディオ評論家と呼んでいいのかは措いとくとして、
伊藤先生、池田圭氏、淺野勇氏、青木周三氏、加藤秀夫氏、今西嶺三郎氏、岡原勝氏といった、
オーディオの専門家の方々の存在があったし、この人たちからみれば、
岩崎先生も瀬川先生も若手ということになる。

けれど、もう一度書いておくが、岩崎先生も瀬川先生も、
このふたりだけに限らず菅野先生、山中先生たちも若手とは呼ばれていなかった。
読み手であった私も、そういう意識はまったくなく読んでいた。

なのに、なぜいまのオーディオ評論家と呼ばれている人たちは、
すでに岩崎先生、瀬川先生の年齢をこえ、さらには五味先生の年齢をこえている方も多いのに、
若手という認識から離れられないのだろうか、と考えたとき、
バックボーンの違いから、そういうことになっているのだと思っている。

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