「ルードウィヒ・B」(その7)
小学館が発行していたFMレコパルは1974年の創刊。
共同通信社のFMfan、音楽之友社の週刊FMがすでに創刊されていて、FMレコパルは後発だった。
それゆえに独自色を出すために、小学館は約2年の準備期間を設けていた、という話を、
昨夜、西川さんからきいたばかりである。
先行する共同通社、音楽之友社にはなく小学館にある強みのひとつが少年マンガ誌(少年サンデー)であり、
この当時の少年マンガ誌を読んでこられた方ならば記憶にあるはずだが、
ページの欄外に一口情報的な文章が載っていた。
小学館は少年サンデーの、この一口情報を活用する手を考え、
オーディオ一口メモということをやっていたそうだ。
しかも執筆されていたのは岩崎先生だったそうだ。
(なんと贅沢なんだろう、と思ってしまう。ほかの出版社だったら編集者が書いていたと思う。)
岩崎先生も仕事が忙しくて、
途中から西川さんが代理で書いて、岩崎先生がチェックするというふうに変っていったそうだが、
とにかくこういう地味なことを続けて、読者アンケートの結果から、
FMレコパルでは、他のFM情報誌よりもオーディオに力を入れていくように編集方針が決った、とのこと。
そしてもうひとつのFMレコパルの独自色だったのが、FMレコパル・ライブ・コミックであった。
マンガ家との強いコネクションをもつ小学館だけに、手塚治虫だけでなく、
石森章太郎(石ノ森と書くべきだろうが、私が夢中になって読んでいたころは石森だったのでこう書いてしまう)、
さいとうたかを、望月三起也、松本零士、ジョージ秋山、黒鉄ヒロシほか、大勢の方が描かれていた。
1976年の終りごろからは掲載時に読んでいたけれど、記憶に残っているもの、
ほとんど記憶に残っていないもの、
えっ、この人が描いていたの? というぐらいまったく記憶にないものがある。
FMレコパル・ライブ・コミックにどういう作品が掲載されたのかは、
図書の家というサイトにある芸術・芸能漫画アーカイブに詳しい掲載リストが公開されている。
このリストを見ていると、読みたい! と思う。