ナロウレンジ考(その10)
なぜ一部のワイドレンジ志向のスピーカーシステムよりも、
ずっとナロウレンジのフルレンジのスピーカーのほうが、ソプラノ歌手の鳴らし分けに長けているのか、
いいかえると聴き分けが容易なのか、について考えていくと、
岩崎先生が書かれていた、ある考察を思い出す。
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ジェームス・バロー・ランシングが目ざした高能率とは音圧のためのではなく、もっと他のための高能率ではなかったのだろうか。他の理由——つまり音の良さだ。
周波数特性や歪以外に音の良いという要素を感じとっていたに違いない。その音の良さの一つの面が過渡特性であるにしろ、立ち上がり特性であるにしろ、それを獲得することは高能率化と相反するものではない。むしろ高能率イコール優れた過渡特性、高能率イコール優れた立ち上がり特性、あるいは高能率イコール音の良さということになるのではないだろうか。私にはジェームス・バロー・ランシングが当時において今日的な技術レベルをかなり見抜いていたとしか考えられない。そうでなければあれだけのスピーカーができるはずがない。
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これは、「オーディオ彷徨」にもおさめられている「ジェームズ・バロー・ランシングの死」の中に出てくる。
この文章が書かれたのは、1976年、雑誌ジャズランドの10月号のことである。
過渡特性の良さ──、
結局、このことに深く関係しているのは間違いない、と確信している。
だからサインウェーヴでの周波数特性が広い、一部のスピーカーシステムよりも、
ナロウレンジのフルレンジのほうが、時としてソプラノ歌手の声をきちんと鳴らし分けてくれるし、
サインウェーヴでの周波数特性では同じようなナロウレンジの周波数特性のスピーカーがあっても、
片方はナロウレンジであることが気になって長く聴き続けることができないのに、
もう片方は聴いているうちにそれほどナロウであることが気にならなくなる、ということも、
過渡特性の悪いナロウレンジ(前者)と良いナロウレンジ(後者)ということになる。