正しいもの(その10)
いますこし菅野先生の発言を引用したい。
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これは正しい再生ではありません。カートリッジがひろいあげた音をRIAAイコライザーをとおしたあとは、できるだけ歪の少ない増幅器で増幅し、歪の少ないスピーカーで再生する。あとは、ルームアコースティックを配慮して、細かい調整を行なっていく。オーディオ再生というものには、約束事として、それだけしか許容されていないと思うんです。
その許容限度を越えているから、正しい再生とは断じて言えませんが、、このばあいの非はレコードの側にあくまでもある。(註・帰宅後も気になったので、おなじレコードをあらためて自分の装置で再生してみた。以前に聴いた印象どおり、高域にキャラクターの強い録音で、丸尾さんならずとも聴きにくい。ぼくには理解しがたいサウンドバランスである。[菅野])
ぼくならば、このレコードにあくまでこだわることをしない。この例外的なレコードを聴くためだけに、自分のせっかく調整しぬいた装置のバランスをくずすわけにはいきませんから……。
しかし丸尾さんがニューヨーク・フィルとバーンスタインによる、このマーラーの演奏が聴きたい、という気持もまたよく理解できます。
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バーンスタイン/ニューヨークフィルハーモニーによるマーラーのレコードについては、
菅野先生は丸尾さんとの対談のなかで「きわめて異常なサウンドバランスのレコード」とも表現されている。
そういうレコードであるから、五味先生が上杉先生のところで聴かれたとき、
このレコードから「死の舞踏」が、悪魔が演奏するように響いてくることを求めるのは、無理というものだろう。
「アパッチの踊り」になってはたしかに困る。
けれど、このレコードのサウンドバランスからすると、
「アパッチの踊り」に傾いてしまいがちなことも、またたしかだ。
菅野先生は丸尾氏の、このときの音について「正しい再生」ではない、といわれている。
菅野先生がよくいわれていた「オーディオの約束事」からは、あきらかに外れてしまった再生であることは、
丸尾氏の音を聴いていなくても、記事からも伝わってくる。
考えていきたいのは、ここからだ。
「正しい再生」ではない──、
これはレコードの再生として正しくないわけであるわけだが、
バーンスタイン/ニューヨークフィルハーモニーによる演奏の再生としてはどうなのか、
さらにはマーラーの音楽としての再生としてどうなのか。
正しい再生ではない、といえるだろうか。