妄想組合せの楽しみ(その19)
ジュリアード弦楽四重奏団は、バルトークを、3回録音している。
1950年のモノーラル録音、ステレオ録音になってからの1963年と1981年、それぞれ10年以上のへだたりがある。
音のことをいえば、1981年に録音されたものがすぐれているけれど、
1963年録音のものには、気迫の凄さといいたくなるものが感じとれる。
1963年にバルトークが、どう聴かれていたのかは、この年に生れた私は、
想像するしかないわけだが、すくなくとも18年後の1981年とでは、作品の知名度もかなり違っていただろうし、
1963年には、バルトークの弦楽四重奏曲は、まだ「現代音楽」として聴かれていたのではなかろうか。
だとすれば、1963年録音に感じとれる気迫が、1981年録音には薄れていることも納得がいく。
1963年録音と1981年録音、どちらの演奏がすぐれているかということではなく、
時代の変化によって演奏の性格もかわっていく。
アバドとポリーニによる、バルトークのピアノ協奏曲第1番をはじめて聴いたときも、
その気迫の凄さに圧倒されたのを、いまでもはっきりと憶えている。
1977年に録音されたこの演奏には、切れ味の鋭さが感じとれる。
もし当時の若さのままのアバドとポリーニが、今の時代、いたとしても、同じ演奏(表現)はしないだろう。
時代の表現というものがある。
DB1+DB2、KEF・104aBの組合せよりも、いまのオーディオ機器を組み合わせた方が、
ディテールの再現性の高さは、あきらかに上だろう。
それでも、この時代ならではの、神経質なところをどこかに残す、独得の繊細さは、あきらかにある。