Date: 4月 5th, 2012
Cate: 表現する
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音を表現するということ(続々続々・使いこなしについて話してきたこと)

人によって考えは違う。だから手が止ってしまったとしても、
それが動き出すまで待てばいい。少なくとも、手が止ってしまうというのは、
音があるところまでいっているからでもあり、それならば好きな音楽を楽しむだけ楽しめばいい。
もちろん、これを、以前は私は言っていたことがある。

それでもオーディオをはじめてまだ10年ほどのときに、手が止ってしまうことがあったら、
いまの私は、「もう一度、一からやってみたらどうか」と言う。

システムを解体して再び組むという作業は、ものすごいエネルギーを必要とする。
こんなことは若いときにやっておかなければ、歳をとってからでは、ますます億劫になってしまう。
若いときに一度やっておけば、さらに10年後、20年後にもう一度、これをやれるかもしれないが、
若いときにやったことがなければ、引越しでもないのにシステムを解体しての再構築は、しんどい。

「シャカリキ!」の主人公、野々村輝は8歳のときに一番坂に挑戦して、
この項の最初に書いたように足をついてしまったところから再スタートするのではなく、
坂を下ってまた一から挑戦していく。
「シャカリキ!」の主人公の、この行動は、話が進み高校生になったときの行動でもある。

やっと登ってきた坂をまた引き返して最初から登りなおす、なんていうことは、
マンガというつくり話の中のことであって、それと現実のオーディオにあてはめるなんて……、
と思われる方は、こんなめんどうなことはやらない方がいい。

足をついたところで一旦休憩して体力が回復してまた登りはじめた方がいい、
その方が目的地(頂上)にははやく到着するのだから、と言うだろう。

でもそれで、ほんとうに頂上に辿り着けるのだろうか。
オーディオの目的地は、あるのではなくつくられるものてあるのだから、
その目的地に辿り着くには、強くなければならない、と思う。

オーディオはひとりでやっていくものであるから、強くありたい、と思う。
そうありたいから、足をついたら最初からやり直す。

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