音を表現するということ(続々続・使いこなしについて話してきたこと)
実際に、このことを試してみるとわかるのだが、
意外に、とでもいおうか、それとも、やっぱり、とでもいうべきなのか、
システムを解体する前の状態と同じにセッティングしなおしたと思って音を出してみると、
あくまでも感覚量にしかすぎないのだが、解体前の音の50%再現できれば、いい方だと思っている。
50%にも満たない音がすることだって、少なくないと思う。
これをやるときに、解体前の状態を写真に撮ったりメモをとったりせずに、
やろう! と決意したら、即システムをすべて解体して、一旦リスニングルームの外にオーディオ機器を出す、
それもこれはできれば、ほかの人にやってもらった方がいい。
オーディオ機器の扱いで信頼のできる人にまかせてやってもらう。
そうすれば解体するときに、セッティングを記憶することができなくなるからである。
ある期間をかけてこつこつ築いてきた──、とはいっても、そのすべてを意外にも、
それを行ってきた本人が把握し切れていないからであり、注意を向けていないところに関しては、
どうなっていたのかさえ思い出せないこともあるはず。
それに記憶していることでも同じにやったつもりでも、同じようにしかなっていないことも、少なからずある。
アクセサリーを多用している場合だと、そうなりがちだろう。
結局、自分でやってきたことにもかかわらず、思い出せないことは実のところ、
そのことは自分の手法として身についているとはいえないのではないか。
そういうやり方でも、チューニングをやっていってれば音は変化する。
変化する以上は、どちらかを選択して、その時点でいい音と思えた方を当然選択する。
これをずっと続けていれるのであれば、それはそれでいいのかもしれないが、
これに関しても、微妙ではありながらも、大事な問題が絡んできていて、
Aの音とBの音を比較して、よい方を選ぶ、というやり方では目的地を見失うこともある。
これについては、項を改めて書いていくが、
ある期間をオーディオを続けていると、ふと手が止ってしまうことがあっても不思議ではない。
くりかえすが、私が一度システムを解体して、もう一度最初からやってみることを、
ここで書いているのは、そういうときにそういう状況から抜け出るため、
そして抜け出た後に身につくことが最も多いやり方であるためだ。