音を表現するということ(続×五・使いこなしについて話してきたこと)
マンガだから、荒唐無稽な話ではない。
「シャカリキ!」で8歳の野々村輝が一番坂への挑戦は、結局は失敗に終る。
坂の中ほどでいちど足をついているくらい体力を消耗しているだから、
坂を下っているあいだに多少は体力は回復したとしても、8歳の少年。
ふたたび登りはじめたけれど、やはり途中で精根尽き果てて倒れてしまう。
一度目の足をついてしまったことと、二度目の倒れてしまったことの意味あいは同じではない。
一度目は限界への挑戦(それも失敗)であって、二度目は限界を超えてしまった、といえる。
オーディオはスポーツではない。
体力の限界を越えてやるようなものではない、のだが、
それでも、オーディオの「限界」とは、なんだろうか、と考えてしまう。
ひとつにはオーディオ機器の限界がある。
とはいえ、この限界は一般的に思われているよりもずっと高いものだという認識を私は持っている。
そして、使う人の限界がある。
人の限界はつねに同じというわけではない。
その人次第で、その限界は変動・変化していく。
今日の限界は、必ずしも明日の限界というわけではない。
けれど、人の限界には、そういう限界とは違う、もうひとつの「限界」があるような気がしてならない。
オーディオにおいても、それがある、と思っている。
その「限界」を超えて、その「限界」をより高くしていくには、
オーディオにおいても、野々村輝と同じやり方をやっていくしかない、と信じていたい。