オーディオにおけるジャーナリズム(その16)
贅肉にも同じ文字が使われていることからもわかるように、
贅沢という言葉だけでは、どうとでもとれる多面性がある。
物質的な贅沢、精神的な贅沢という表現があるように、文化的な贅沢、文明的な贅沢もあろう。
頭にどんな言葉がつくかによって、なんとなく、どういう贅沢なのかがぼんやりと浮かび上がってこよう。
よく「心の贅沢」という。たしかに贅沢のまえに「心」がついてる。単なる「贅沢」とはちがう。
だが贅沢にいろいろあるように、「心」こそ、さまざまだろう。
満ち足りた心もあれば、空虚な心もあろう。すさんだ心、かよわい心、つよい心、うつくしい心……、
心の前にどんな言葉がつくかによって、「心の贅沢」はまるっきり違う様相となる。
そして、精神的な贅沢、気持の上での贅沢ではなく、「心」の贅沢と言ってしまうことで、
含まれるものは、数を増す。
心の捉え方も、人によって微妙に異るのは当り前のことだ。
おまえはどうなんだ、と問われれば、はっきりとは答えられないが、
ここで書いたことを思っている。
だから、「心の贅沢」と言ってしまった瞬間に、
これを発した人の表現したものから、その人の心を、
受け手、読み手、聴き手は、無意識のうちに感じとっているところがあると思う。