素朴な音、素朴な組合せ(その18)
カルショウが「自分がドラマの中にいるという感じ」を強めるためにデッカでやってきたことの数々は、
つまりソニック・ステージを実現するための創意工夫は、つねにその時代の録音技術で可能な、
ときにはその時代時代の録音技術の限界を打ち破ろうとしてきた、といえるかもしれない。
それは、その時代での最高の技術であろうとしていたのかもしれない。
ただ、そのことがときが経つことによって、古さと変質していくこともある。
録音技術もつねに進歩している。器材の進歩、録音テクニックの進歩によって、
最新録音だったものは、いずれ最新録音ではなくなってしまう。
レコーディングの可能性を信じていたカルショウにとって、
録音という行為は、熟成された技術だけを使って冒険を拒否した行為ではなかったはず。
だからカルショウの録音は、そのすべてが、とはいわないけれど、
やはり後から登場したより進んだ、
優れた技術・器材を駆使した録音に追い越されてしまう宿命的な面も併せ持っている。
ここは、同じデッカでもエーリッヒ・クライバーの「フィガロの結婚」と対照的なところでもある。
カルショウの録音では、あるひとつの録音の中でも、いま聴くと古さにつながってしまうところがあるのは、
否定できなかったりする。
同じ意味で、テラークの「1812年」の大砲の音も、いま聴くとどう感じるのだろうか、と思ってしまう。
それでもテラークの「1812年」とカルショウが残した録音の数々の違いは、
カルショウの録音は、それはカルショウとしての意を尽くしたものであることが、
いまも聴き続けられている理由のであるはずだし、
一方で、カラヤンが「オテロ」を再録音する理由にもなっている、と考えたくなる。
意を尽くすことは、カルショウの美意識ゆえであり、
そのカルショウの美意識と、そして、もうひとりの強烈な美意識の持主であるカラヤン、
このふたりの美意識が衝突しないはずがない。