使いこなしのこと(四季を通じて・その5)
使いこなしの名手といわれていた井上先生が、
季節によって聴きたい音楽、聴きたい音が変ってくることについて、よく口にされていたのは、
ステレオサウンドにいた当時は気がつかなかったけれども、無関係ではないどころか、
密接に関係していることだ、といまははっきりといえる。
この項のふたつ前に「日常を発見していく行為」が、音をよくしていく行為だと書いた。
つまりどういうことなのか、これと井上先生のことがどう関係してくるのかについて書けば、
こういうことだと私は受けとめている。
つまり、いま目の前で、身の回りで起っている現象をしっかりと観察しろ、ということだと確信している。
よく自分の意見を持て、自分の意見を言え、ということがいわれている。
これは全面否定するつもりはないが、そんなことよりも、オーディオに関していえば、
現象を、誰かが見落している(聴き落している)ようなことまでしっかりと確実につかむことが大事ではないだろうか。
意見を持たなければ、意見を言わなければ、という気持が心のどこかにあれば、
目の前で、まわりで何が起っているのを、その現象がなんであるのかをつかんだつもりにはなれても、
それは単なる思い込みでしかなくて、私は思い込みによる意見をききたい、とは思っていない。
意見は、音をしっかり聴いていっていれば自然とついてくるはずだ。
井上先生は、日常という現象をしっかりと、そしてしなやかに観察されていた、
いま、そう思っているところだ。