Live at Casals Hall 1987-Complete & Un-edited(その3)
1960年の第六回ショパン・コンクールで、
マウリツィオ・ポリーニは18歳で優勝している。
この時の審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが、
「ここにいる審査員のなかで、ポリーニよりも巧みに演奏できる者がいるだろうか」、
そんな趣旨のことを述べていることは有名な話だ。
このルービンシュタインのポリーニへの讚辞は、
言葉通りに受けとめていいと思う反面、
ルービンシュタインの讚辞に裏に隠れていることを、
つまりルービンシュタインがいわんとしていることを、つい想像してみると、
ジョージ・セルが言っていたことと同じことのようにも思えてくる。
つまりピアノを鳴らすことに関して、ポリーニはすでにずば抜けていた。
けれど、ピアノを歌わすことに関しては、どうだろうか。
ポリーニは、ショパン・コンクール優勝のあと、十年ほど演奏活動から遠ざかっていることも、
よく知られている。
理由についても、いくつか諸説あるけれど、
ポリーニはルービンシュタインの讚辞の裏側まで、きちんと受けとめていたからではないのか。
REPLY))
ピアニストで各種コンクールの審査員をしていらした山崎孝の著作で、ルービンシュタインは審査が紛糾したこの時に同時に、「諸君これは新しい時代のショパンである」と言ったのでポリーニに決まったと言うことを書いておられます。20世紀の間日本でももてはやされていた、コルトーやフランソワに比べるとルービンシュタイン自身の演奏も即物的だと思います。言葉の普通の意味で歌わせると言えば現代の演奏の方がルービンシュタインやゼルキン・セルの演奏に比べれば遙かにテンポの伸び縮みや色彩の多彩さ、装飾まで含めてロマンティックなケースが多いと思います。ルービンシュタインの言った新しさは、仰るように70年の練習曲集で新しいショパン演奏の基準が作られ、それは21世紀の今日まで変わっていないようです。それに引き換えベートベンは76年頃制作された後期のソナタ集に対して、ポリーニはその当時のテクニックを失ってなお最近、50年近い時を隔てて新しい録音をリリースしました。彼はそれが必要だと確信したのでしょう。その演奏の良さは内声まで、よくききとれる分解能のよい再生機器があってこそ鮮明に理解できます。もしかすると案外レヴィットの演奏がもてはやされているのが不愉快だったかもしれない等と思うのはいささか「げす」根性というものでしょうが。しかし60年のポリーニのショパンの協奏曲と一昨年のブルースリウの演奏の違いを聞きわけるには、ほとんどCrでないカセットレベルでも十分です。そういうのも再生藝術の面白みの一つだとも思います。