マリア・カラスは「古典」になってしまったのか(その5)
マリア・カラスは1923年12月2日に生れている。
来年は、マリア・カラス生誕百年にあたる。
2027年には没後五十年になる。
それたけの月日が経っているのだから、
マリア・カラスは「古典」になってしまった、のかもしれないが、
マリア・カラスは「古典」にされてしまっているのかもしれない、とも思うことがある。
黒田先生が、ステレオサウンド 54号の特集の座談会で、
《たとえば、シルヴィア・シャシュが、コベントガーデンで「トスカ」を歌うとすると、おそらく客席にはカラスの「トスカ」も聴いている人がいるわけで、シャシュもそれを知っていると思うのです。聴く方はカラスと比べるぞという顔をしているだろうし、シャシュもカラスに負けるかと歌うでしょう。その結果、シャシュは大きく成長すると思うのです。》
と語られている。
この時代、マリア・カラスは「古典」ではなかった。
54号は1980年3月に出ている。
マリア・カラスが亡くなって、二年半ほどだから、それも当然なのだろうが、
いまの時代、シルヴィア・シャシュのような歌手がいるだろうか。
そして客席にいる聴き手も、マリア・カラスと比べるぞ、という顏をすることはないのではないか。
そんなことを考えていると、
黒田先生が書かれたもうひとつのことを思い出す。
《多くのひとは、大輪の花をいさぎよく愛でる道より、その花が大輪であることを妬む道を選びがちです。あなたも、不幸にして、妬まれるに値する大輪の花でした》、
「音楽への礼状」からの引用だ。