老いとオーディオ(その11)
五味先生が「五味オーディオ教室」に書かれていたことを、
最近思い出すことが多い。
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いい音で聴くために、ずいぶん私は苦労した。回り道をした。もうやめた。現在でもスチューダーC37はほしい。ここまで来たのだから、いつか手に入れてみたい。しかし一時のように出版社に借金してでもという燃えるようなものは、消えた。齢相応に分別がついたのか。まあ、Aのアンプがいい、Bのスピーカーがいいと騒いだところで、ナマに比べればどんぐりの背比べで、市販されるあらゆる機種を聴いて私は言うのだが、しょせんは五十歩百歩。よほどたちの悪いメーカーのものでない限り、最低限のトーン・クォリティは今日では保証されている。SP時代には夢にも考えられなかった音質を保っている。
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五味先生は、スチューダーのC37を手に入れられている。
ステレオサウンド 50号掲載の「オーディオ巡礼」に、そのことが出てくる。
それでも《出版社に借金してでもという燃えるようなもの》は、
五味先生の裡からは消えてしまっていたのだろう。
この《出版社に借金してでもという燃えるようなもの》は、
どうしても欲しい、という気持のはずだ。
最近思うのは、「どうしても欲しい」と「どうしても譲れない」、この二つの違いである。