音楽をきく(その5)
私が10代のころ、レコード(LP)は高かった。
当り前のことだが、本は買えば読むための機器は必要としない。
レコードは違う。
それを再生する装置が必要となる。
それに本は図書館という存在があった。
学校にもあったし、市立の図書館もある。
東京だと図書館にレコードもあるけれど、
私の田舎ではなかった、と記憶している。
レコードと接する機会が田舎と都会とでは、そうとうに違う。
レコードはそうであっても、FMがあるだろう、といわれそうだが、
FMの民放が増えてきたのは、もう少しあとのことで、私が田舎にいたころは、NHKのみだった。
FMの民放は、隣りの福岡にはあったけれど、その電波は届かず、である。
とにかく、いろんな音楽を聴きたい、と思ったところで、かなわなかった。
私だけのことではないはずだ。
私と同世代、そして田舎暮しの人は同じだったのではないだろうか。
それでも家族に音楽好き、そうとうな音楽好きがいれば、少しは変ってこよう。
けれど、そんな人は私の周りにはいなかった。
東京に来て知ったのは、音楽に関してひじょうに恵まれた環境にいた人が、
少なからずいる、ということだった。
とにかく聴ける環境が違いすぎていた。
音楽評論家になる(なった)という人たちは、
10代のころに、どれだけ多くの音楽を聴いていたかは、とても重要なこととなっている。
だからといって、自分の環境を嘆きたいのではなく、
いまの時代は、もうそうではなくなっている、といいたいだけである。
TIDALをはじめ、ストリーミングで世界中の音楽が満遍なく聴ける。
それこそスマートフォンとイヤフォンがあれば、鑑賞にたえる音で聴ける。