Date: 3月 19th, 2021
Cate: モーツァルト
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続・モーツァルトの言葉(その5)

ジェイムズ・レヴァインとメトロポリタン歌劇場管弦楽団とのワーグナー、
かなり期待して買って聴いたものだった。
もう三十年以上の前のことだ。

ひどくがっかりしたことだけを憶えている。
こちらの聴き方が悪いのか、と思い、聴き直しても印象は変らなかった。

特にケチをつけるような出来ではなかった。
だからといって、いいワーグナーを聴いた、という感触もなかった。

高く評価する人もいるのは知っている。
私の片寄った聴き方では、レヴァインとMETによるワーグナーはつまらなかった。

レヴァインの「ワルキューレ」にがっかりした私は、
そこでレヴァインを聴くのをやめてしまった。

熱心な人は、「ラインの黄金」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」も聴いたのだろうが、
私はそこまでの情熱はもう持てなかった。

やめてしまったのに、ある理由がある。
ちょうどそのころ黒田先生が「最近のレヴァインはやっつけ仕事だ」といわれていた。
それは軽い感じで話されたのではなく、
怒りがこもった「最近のレヴァインはやっつけ仕事だ」だった。

「ワルキューレ」以前のレヴァインも、それほど熱心に聴いていたわけではなかったから、
黒田先生のいわれる《最近のレヴァイン》は聴いていなかった。

なので、黒田先生がそこまで強い口調でいわれるのをきいて、
少しとまどいもあった。

でも「ワルキューレ」は、そうだった、と思った。
やっつけ仕事である。

だからといって雑な演奏なわけではない。
才能のある人のやっつけ仕事であるわけだから、始末が悪い。

やっつけ仕事になってしまった理由は、モーツァルトのいうとおりだろう。
     *
天才を作るのは高度な知性でも想像力でもない。知性と想像力を合わせても天才はできない。
愛、愛、愛……それこそが天才の魂である。
     *
レヴァインから愛が消えてしまったと捉えているのは私ぐらいかもしれないにしてもだ。

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