オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その3)
二流のオーディオ評論家が一流ぶるのは、本人だけのせいなのだろうか。
オーディオ雑誌の読者が、一流のオーディオ評論家を求めている──、
ということも考えられるような気がする。
名実ともに一流でなくてもいい、名ばかりの一流であってもいいから、
そういうオーディオ評論家を読者が欲している。
そんな空気があるから、オーディオ雑誌の編集者が、
二流のオーディオ評論家に一流ぶることを求める。
それだけではない、オーディオメーカーも輸入元も、それからオーディオ販売店も、
実はともなわなくてもいいから、一流といえそうなオーディオ評論家を必要としている。
私が勝手にそう思っているだけで、実際のところはわからない。
でも、ありそうな気はする。
誰も意識はしていないのかもしれない。
その意味では、そうでないともいえるだろうが、
それでもオーディオ業界の人たちは、
一流のオーディオ評論家による御墨付を意識するしないに関らず求めている──。
飾りでいいのかもしれない。
とにかく一流、とかいえる人たちがいなければかっこうがつかない。
このへんのことは、別項で書いているトロフィーオーディオとも関係してくるであろう。
一流のオーディオ評論家が執筆しているオーディオ雑誌は一流、という図式が成り立たない。
一流のオーディオ評論家が自宅で使っているオーディオ機器は一流品である──、
ということもいえなくなる。
ほんとうに一流のオーディオ評論家を必要としているのではなく、
一流というレッテルだけが求められている。
といってはいいすぎだろうか。