オーディオと「ネットワーク」(SNSの選択・その7)
表現のインフレーションとSNSへのマルチポスト。
ここに共通してくるのは、殊更という感覚なのではないだろうか。
殊更は、2月のaudio wednesdayに来られたデザイナーの坂野さんが、
facebbokにくれたコメントにあったことばだ。
『殊更』とあった。
ふだん、ほとんど意識せずに使っている「ことさら」ではあるが、
『殊更』を見て、今年一年の私にとってのキーワードになっていく予感がした。
オーディオのアクセサリー類を、
屋上屋を重ねるような使い方をしている人はけっこう多い。
私もハタチぐらいのころは、似たようなことをしてきた。
屋上屋を重ねることをやっていたときは、
音がよくなった、と思っていた。
なのにしばらくして、屋上屋を重ねる的なことをすべて取っ払ってしまった音を聴くと、
何をしていたのだろうか、何を聴いていたんだろうか、というおもいにとらわれることもしばしばあった。
これは、殊更感を増すためにやっていたのではないだろうか。
別項で「時代の軽量化」を書いている。
殊更感が増すほどに、時代の軽量化も進んでいくような気もしている。
(その3)で、SNSを眺めていると、
この人は、いったいどういう音を鳴らしているのか、と思ってしまうことを書いた。
オーディオマニアならば、スピーカーとかアンプを交換したときの音の違い、
それもたいていはグレードアップなのだから、音が良くなっているはずなのだから、
そこでの音の良さについて誰かに伝えたくなる気持はある。
そういう文章を読んで、素直に喜びが伝わってくる、と感じるよりも、
最近では、この人は、いったい、どんなにすごい音を出しているのか──、
そんな疑問が先にたつことが増えてきた。
つい先日もtwitterを眺めていて、そうだった。