日本の音、日本のオーディオ(その39)
(その38)へのコメントが、facebookであった。
いま国産のスピーカーの代表といえるTADだが、とても攻撃的ではないか、
そう書いてあった。
ここでのTADが、現行製品のすべてを指しているのか、
それともTADのスピーカーシステムのひとつ、もしくはいくつかなのかははっきりしないし、
過去のTADのスピーカーも含めてのことなのか、そのへんははっきりとしない。
現行製品のTADのスピーカーシステムの音が攻撃的とは感じていないが、
そう感じる人がいても不思議ではない、とも思っている。
コメントをくださった方は、これまでにも何度かコメントをくださっていて、
ブリティッシュサウンドに魅了されている方のようである。
ここでのブリティッシュサウンドも、いま現在のそれではなく、
セレッションのDitton 25を気に入られていることからもわかるように、
佳き時代のブリティッシュサウンドのはずだ。
そういう方からすれば、TADは攻撃的と感じられるかもしれない、と思いつつも、
TADの小型スピーカーTAD-ME1を聴かれているのだろうか、とも思う。
オーディオショウで鳴っていたTAD-ME1を聴いて、意外だった。
これまでのTADのスピーカーの音を、どうしても先入観としてもってしまう。
そういう耳で聴いてもなお、TAD-ME1の音は、こちらを驚かせた。
TADも、ついに、こういう音を鳴らせるようになったのか、
そんなおもいだけでなく、この音ならば、ずっと聴いていたい、とも思っていた。
TAD-ME1には、それまでのTADのスピーカーの音にはなかった響きが感じられた。
響きと表現してしまうと、勘違いする人もいると思う。
スピーカーの付帯音を響きと解釈する人は、そう受けとってしまうことだろう。
それに音場感をきちんと出せれば……、という人もいるだろう。
けれど、音場感を出していても、そこに響きを感じられるかどうかは、
また別の問題であり、
ここのところは、クラシックをずっと聴いてきた聴き手ならば、
なんとなくではあっても理解してくれるだろうが、
そうでない聴き手にとっては、なかなか理解し難いことなのかもしれない。
それでも、やはりオーディオショウで初めてTAD-ME1を聴いた友人たちも、
数人だけではあるが、みな驚いていた。
いいスピーカーだ、と評価していた。
また横路にそれている、と思われるだろうが、
この「響き」をうまく出せるかどうかは、これから書いていくことに深く関係してくる。