598というスピーカーの存在(KEF Model 303・その13)
菅野先生のAU607の試聴記だ。
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このアンプの音質は、音が空間に浮遊する様を感じさせる点では出色のものだ。空間感とか、プレゼンスとかいう表現に近いことになるのだが、それら音場を連想させるイメージに加えて、ここで感じられるのは、音像(音源でもよい)そのものの実在感に空芯のイメージがあるとでもいいたいのである。これは、決して数多くのアンプが可能にしてくれるものではないし、スピーカーでも、このイメージが出るものとそうではないものとがあると私は思っている。概して、この感覚が得られるオーディオ・コンポーネントは、かなり練りに練られた高級品にしか見当らないものなのだ。BCIIが、空気を一杯にはらんで鳴り響いているような素晴らしいソノリティが楽しめたし、4343による、ピアノやベース、そして、ドラムスの実感も相当なものであったが、欲をいえば、この空芯感と、さらに充実したソリッドな実感が調和すれば、理想的といえる。一線を超えたアンプだ。
(ステレオサウンド 42号より)
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41号からステレオサウンドを読みはじめた私にとって、
42号は初めての総テストのステレオサウンドであり、
そこでの試聴記に出てくる音の表現は、読んでいるだけでも楽しかった。
ほとんどが初めてであう音の表現だった。
そのなかでも、菅野先生の試聴記に出てきた空芯感は、なんだろう? が最初の印象だった。
空芯感は、試聴記を読めばわかるように、褒め言葉である。
とはいえ空芯である。
ネガティヴな表現と捉えることもできなくはない。
このころ、この空芯感と、
五味先生が「五味オーディオ教室」で、菅野先生の音について書かれていたことが、
結びついていくのではないのか、と考えたことがある。
実を言うと、いまも考え続けている。
これ以上は、大きくそれてしまうからこのへんにしておくが、
とにかく空芯感のあるアンプとして、AU607の存在が気になったし、
しかも菅野先生は自宅のJBLのシステムで、075用にAU607のパワーアンプを使われていたこともある。