資本主義という背景(その7)
資産価値。
これをオーディオの世界で初めてきいたのは、
ステレオサウンドで働いていたころだった。
あるオーディオ評論家が、そういっていたのをはっきりと憶えている。
オーディオ機器を購入するにあたって、資産価値を検討する──、
そんな内容のことだった。
それまでの私は、欲しいオーディオ機器について、
資産価値なんてことはまったく考えたことがなかった。
そんなことを考えてオーディオ機器を購入する──、
そんな人がいるのか、と驚いた。
買った時よりも手放すときに高く売れるモノ、
そこまでいかなくとも損をしないほどに売れるモノ、
そんなことまで考えてオーディオ機器を購入する。
どんなオーディオ機器であっても、一度使えば、いわゆる中古になる。
よほど希少なモノで、それを欲しがっている人が大勢いれば、
手放す時に高くはなる可能性はある。
それが、自分が欲しいモノと完全に一致していればいい。
それでも「資産価値が……」と言葉にすることはないだろうとも思うけれど。
おそらく「資産価値が……」といった人は、
欲しいと思っているモノが複数あれば、
迷わず資産価値で、どれにするかを決めるのだろう。
迷う、という行為においても、
資産価値を検討している人とそうでない人とでは、違ってくる。
「資産価値が……」をきいたころは1980年代なかばごろだった。
いまのように、高価になりすぎた時代ではなかった。
それに「資産価値が……」といって人自身、
非常に高価なオーディオ機器を購入していたわけでもなかった。
確かに、多くの人が好んで使うようなオーディオ機器ではなかったけれども。
だから、まだ「資産価値が……」に強い反撥を感じたわけではなかった。
けれど、いまはそのころとは随分様相が違ってきている。
おそろしく高価なオーディオ機器が、ごろごろしている(そういいたくなる)。
こうなってくると「資産価値が……」がとたんに生々しくなってくる。