編集者の悪意とは(その11)
沢村とおる氏は、「スピーカーエンクロージュアづくりの秘密をさぐる」の冒頭に、
次のようなことを書かれている。
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にもかかわらず、一般ユーザーの人々には、エンクロージュアの重要性は、まだそれほど認識されていないように思われる。確かに、重量化競争のせいで、重さには関心が持たれるようになったが、これは単に重ければいい、というものではないのはもちろんで、そこにどんなコンセプトがあり、どれだけのノウハウが注ぎ込まれているかに注目する必要があるのである。
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私は、この箇所で、まずカチンときた。
沢村とおる氏が、どういう経歴の人なのかは知っていたし、
菅野先生から、どんな人なのかも少しはきいていた。
菅野先生と沢村とおる氏とのスイングジャーナルでのやりとり、
というか、対立、もしくは喧嘩に近い的なことかあったのも知っていた。
とはいえ、沢村とおる氏とは一度も会ったことはなかった。
どんな人なのかは、白紙に近いところもあったわけだが、
この箇所を読んだだけで、こういう認識の人が、
スピーカーの開発に携わっているのか──、
まともなスピーカーが生まれるはずがない、
読んだ瞬間、そういう認識になってしまった。
ステレオサウンドを古くから読んでいる人ならば、
沢村とおる氏が、まったくステレオサウンドを読んでいないことは明白だろう。
本人は、しっかりと読んできた、というかもしれないが、
原稿を読めば、そうでないことはバレてしまう。
この人の、読んできたは、眺めてきたくらいものなのだろう。
別にステレオサウンドをしっかり読み込んでいなくてもいい、といえばそうだ。
書いたものが面白ければ、それでいい。
実際はそうではなく、認識不足も甚だしい。
この人は、オーディオマニア、
つまり自分が勤めている会社の客を、この程度と高を括っているとしか思えない。