「音は人なり」を、いまいちど考える(その11)
昨晩のaudio wednesdayは、三ヵ月ぶりの標準システムだけによる音出しであった。
4月はメリディアンのULTRA DAC、5月はメリディアンの218を迎えての音出しであった。
マッキントッシュのMCD350、MA7900、それにアルテックを中心としたスピーカー。
今回三ヵ月前と違うのは、電源コードだけである。
しかもMA7900の電源コードは5月にすでに聴いてもらっている。
MCD350の電源コードだけ、3月に聴いてもらったのを長くして、
壁のコンセントから直接とれるようにしただけである。
音の変化は小さくなかった。
私にとってはそうしている範囲でのことであっても、
昨晩来られた方には、かなり大きな変化だったようだ。
ある人から、「変えたの電源コードだけですか」と訊ねられた。
「電源コードは変えたけれど、いちばんの大きな変化は、私の人間的成長です」、
そう返した。
私の答を、また冗談言っている、と受け止められたと思うが、
けっこう本気で言ったことだ。
「音は人なりと昔からいうでしょう」ともつけ加えた。
オーディオで音を変えるのは、特に難しいことではない。
何かを変えれば、音は変化する。
いい方向にも悪い方向にも、音は変化する。
何かを、以前のモノよりもずっと高価なモノに買い替えれば、
音の変化は、決して小さくないはず。
そういう音の変化を楽しむのも、オーディオの楽しみではある。
それでも「音は人なり」である。
結局、音を大きく変化させるのは、鳴らし手の人間的成長である。