“NO MUSIC, NO LIFE.”に感じていること(その1)
タワーレコードのキャッチフレーズである“NO MUSIC, NO LIFE.”。
タワーレコードによると、これはコーポレート・ ボイスであり、
「音楽があることで 気持ちや生活が豊かになる」という意味が込められているようだ。
直訳すれば、
音楽なくして人生なし、
音楽のない人生なんてありえない、とかになる。
“NO MUSIC, NO LIFE.”
そこに音楽への飢餓感が欠けてしまっているように、
最近感じてしまうことがある。
本来としては、そこには音楽への飢餓感が込められている、と思っている。
少なくとも、タワーレコードのキャッチフレーズとしてではなく、
英語の表現としての“NO MUSIC, NO LIFE.”には、そういうことが込められている、
と私は勝手に解釈している。
私は、私より上の世代の方たちが書かれたものに導かれてきたところがある。
伊藤先生は明治、五味先生は大正、
菅野先生、岩崎先生などのオーディオ評論家は、昭和一桁、
瀬川先生は昭和十年の生れである。
この人たちの書かれたものには、音楽への飢餓感、
飢餓感という言葉に抵抗を感じるのであれば、強い渇望とするが、
そういうものが感じられたし、読みとれた。
そういうものを読んで育ってきたわけだ。
昭和三十八年生れの私が、同じくらいの飢餓感を感じていたとはいわないが、
それでも、いまの時代のように好きな音楽、聴きたい音楽をすぐに聴けたわけではなかった。
いまの時代に、飢餓感なんていう表現を、音楽に対して持ち出してくのは、
時代錯誤と受け止められてもしかたない──、とは思っている。
それでも……、とどうしても思ってしまう。