「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その16)
ステレオサウンドがつまらない、と書いてきている。
私はそう感じているけれど、
いや、とても面白いじゃないか、という人がいるのは知っている。
先日もSNSで、そういう人たちがいた。
誰が、どれを面白いと感じてもいい。
けれど、その人たちの発言を見ていると、
そういうのを面白い、というのかと、と思う。
ステレオサウンドはオーディオ雑誌である。
雑誌に何を求めるのか。
いまのステレオサウンドを面白い、という人たちは、
気持ちよくさせてくれれば、と思っているように感じた。
自分が鳴らしているスピーカーシステム、アンプ、CDプレーヤーなどが、
ステレオサウンドの誌面で高く評価される。
このことを嬉しく思わない人は、まずいないだろう。
でも、もういい大人なんだから……、ともつぶやきたくなる。
使っているスピーカーシステムが、高く評価される。
さらには新しい音とか、ハイエンドオーディオを代表する、とか、
そんなふうなことが書いてあったら、
そのスピーカーを使っている自分も、
ハイエンドオーディオファイルの一人だ、と思えるのだろうか。
読者を気持よくさせる。
それも雑誌の役目なのだろうか。
気持よくさせてくれる雑誌ならば、面白いというのだろうか。