Date: 8月 24th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
Tags:

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(理解についての実感・その15)

ステレオサウンド 207号での柳沢功力氏のYGアコースティクスのHailey 1.2の試聴記、
その見出しは、次の通り。

《「ベイシー」では居並ぶブラスの金属色を
 最高の輝きで盛り上げ、音の抜けもよく鳴りも闊達》

私も見出しはよくつけていた。
特集が総テストの場合、一機種ごとの試聴記に見出しをつけていく。

基本的には試聴記から、できるだけいいところを拾い出してまとめるわけだが、
ローコストのモデルだと、なかなかそれが難しかったりする。

しかも文章を書くのと、見出しをつけていくのとでは、どこかでスイッチを切替えるようなところもある。
総テストの試聴記に見出しをつけていく場合、
つけやすいのからやっていくのが効率がいいように思えるのだが、
私は必ず低価格のモデルから、つまり登場順に見出しをつけていっていた。

見出しをつけはじめの数機種は、意外に時間をくう。
切替えがスムーズにいかないのと、試聴記の内容がやや厳しかったりするからだ。
それでも数本つけていくと、あとはかなりのスピードで処理していける。

今回のHailey 1.2の柳沢功力氏の試聴記の見出しは、あまりいい出来とは思わない。
試聴記が厳しいものだから、とはいえ、ベイシーのディスクのところだけの抜き書きでしかない。
しかも柳沢功力氏の、その部分を読むと、そこでも決してよく鳴っていた、とは読めない。

《ギンギンの再生》とあるし、
《強打するドラムスは最低域だけを「ドン!」と鳴らした》とある。

チクリチクリとしたところのある試聴記であり、
見出しはその部分の、さらなる抜き書きである。

見出しは、編集者の仕事である。
それはいまも同じはずだ。

ステレオサウンド編集部の誰かがつけた見出し。
それに染谷一編集長はOKを出しているから、誌面に載っている。

いまのステレオサウンドの見出しは、ネガティヴなことは少しでも除外しているように思える。

そのことを考慮して私が見出しをつけるなら、こうなる。
(かなり遠慮気味なので、いい出来とは思っていないし、五分以内と制約つきでのもの)

《木の音のような膨らみはなく、克明な音がする。
 表情は繊細にして緻密で、特有のリアリティを生む》

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]