「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(ステレオサウンド 208号でできること・その2)
沈黙を続けていれば、自然と方が付くのだろうか。
人の噂も七十五日という。
二ヵ月半だから、6月の207号のことだから、
三ヵ月後の208号のころには忘れ去られているのか。
二年前に「オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その4)」を書いた。
あるオーディオ関係者の沈黙が生んだ結果に触れた。
そのオーディオ関係者は、沈黙を後悔されていた。
そのオーディオ関係者と染谷一編集長は、仕事上でもよく会っている人のはず。
私が聞いている話なのだから、染谷一編集長も、その話を本人から聞いている可能性はある。
ずっと以前なら、日本では沈黙はひとつの対処の仕方といえただろうが、
いまの時代、どうだろうか。
少なくとも染谷一氏は、ステレオサウンドの編集長である。
一編集者ではないのだ。
謝罪、釈明はしたくないのかもしれない。
ならば(その1)に書いたように、積極的に今回の謝罪の件を利用すればいい。
仮に私が編集長で、こんな不用意な謝罪をしてしまったら、
鼎談、往復書簡を含めて、第二特集として記事とする。
16ページくらいはつくれる。
今回の件は、染谷一氏ひとりの問題ではないし、いろいろなことに関係してくる。
だからこそ、他のオーディオ評論家も無関係ではないどころか、
今回の件に沈黙しているオーディオ評論家は、
私からみればオーディオ評論家(商売屋)と自ら認めたようなものだ。
今回の件に関して、きちんと意見を述べたいオーディオ評論家はいるはずだ。
けれど、沈黙していては同じ穴の狢でしかない。