「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その32)
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のマッキントッシュ号。
巻末に「マッキントッシュ対マランツ」という特別テストが載っている。
副題として、〈タイムトンネル〉もし20年前に「ステレオサウンド」誌があったら……、
とついている。
1976年から20年ほど遡って、
当時のマッキントッシュのアンプとマランツのアンプの比較試聴である。
マッキントッシュはC8S+MC30、
マランツはModel 1+Model 6+Model 2である。
この記事を懐古趣味と一蹴するのは、簡単だ。
1976年はすでに40年前、そこからさらに20年なのだから、60年前のアンプについての記事を、
ここで取り上げるのは、ここでの試聴結果が、今回の謝罪の件にも関係してくるからだ。
機会があれば、ぜひ読んでほしい。
ここでは、菅野先生の発言のひとつだけを取り上げる。
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菅野 ほんと、そういう感じですよね。この二つは全く違うアンプって感じですな。コルトーのミスタッチは気にならないが、ワイセンベルグのミスタッチは気になるみたいなところがある。
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岡先生は《うまい例えだな。これ、ひっくり返したら全然だめだからね》と返されている。
ほんとうにそうである。
クラシックをまったく聴かない人にはわからない例えだろうが、
言い得て妙とは、まさにこのことだ。
コルトーのところは、他のピアニストに変えることはできない。
ワイセンベルグは、ワイセンベルグに限らない。
この記事が1976年ということもあってのワイセンベルグである。
ここでコルトー的なアンプはマッキントッシュであり、
ワイセンベルグ的なのはマランツである。
そして、この例えをマッキントッシュ、マランツのアンプではなく、スピーカーに置き換えてみる。
ワイセンベルグ的(マランツ)をYGアコースティクスのHailey 1.2に、
コルトー的(マッキントッシュ)を、ステレオサウンド 207号で柳沢功氏が高く評価しているモノ、
フランコ・セルブリンのKtêmaにしてみよう。
私が染谷一編集長の立場だったら、avcat氏への説明に、この例えを使うかもしれない。
avcat氏がクラシックを聴かない人だったら、この例えは役に立たないが……。