スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その18)
中野英男氏は、927Dstのイコライザーアンプについても書かれている。
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ところで、これまでの話は未だ前座に過ぎない。たまたま瀬川、松見の両先生が来られたのを機会に、我が家のEMTのトーン・アームを新型の997型に替えようということになった。アームを交換した結果、再生音の質が一段と向上したことは言うまでもない。そのあと、瀬川さんが「中野さん、このプレーヤーにはイクォライザーが内蔵されているでしょう。それを通してアンブのAUXから再生するととてもいいんですよ」と言い出したのである。
私のEMTは前にも書いた通り十年も前に買ったものだ。その頃のアンプ、特にトランジスター・アンプの技術水準を考えて私は慄然とした。いかに瀬川さんのお言葉とは申せ、これだけは従えない、と思った。ところが同席した役員のひとりと、トーン・アームの交換を手伝ってくれた技術開発部の中村課長が「やってみましょうや、会長。ものは試しということがあります」としきりに言う。実はEMTのイクォライザーは購入した当時、半年余り使用したが、どうも性能が思わしくないので取り除き、アームから他のプリアンプに直結していたという経緯がある。当時のライン・アップはマランツのモデル7と9B、或いはマッキントッシュのC22とMC275、スピーカーにはJBLのパラゴンとボザークのB410を使っていたような気がする。ソリッドステート・アンプ黎明期における名器ソニーのTA1120の出現する前後の話である。その時は、我が社の技術担当重役や若手のエンジニア、その他うるさがたの諸氏が立ち会って下した結論に基づいてイクォライザーをカット・アウトしたのであり、勿論私もその結果に納得していた。
永いこと使わなかったイクォライザーをカムバックさせるのは大仕事であった。瀬川さんと中村君は汗を拭きながらラグ板の銹落しまでしなけれぱならなかった。十年間ターン・テーブルの下にほっておかれたにも拘わらずEMTのイクォライザーは生きていた。そして、そこから出た音を聴いた瞬間、その場に居あわせた人々の間に深い沈黙が支配したのである。
小林秀雄の言葉に「その芸術から受ける、なんともいいようのない、どう表現していいかわからないものを感じ、感動する。そして沈黙する」という一節がある。本当の美しさ、本物の感動は人を沈黙させる。沈黙せずに済まされるような、それが言葉で表現できるようなものであれぱ、美と呼ぶに値しないであろう。あの瞬間、私の居間を支配した静けさはまさしく本当の美しさに対する沈黙であった。音楽だけが流れている。そして、それを取り巻く異様なまでの静寂。
(「さらにまたEMTについて」より)
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なのでBCIIIとKA7300Dとの組合せでも、間違いなく内蔵のイコライザーアンプの出力を、
KA7300DのAUX入力に接続されているはずだ。
「音楽、オーディオ、人びと」を読めば、中野英男氏が、
スピーカーにしてもアンプにしても、一組ではなく、いくつもあることがわかる。
KA7300Dの何倍、それ以上の価格のアンプもいくつもあるなかでKA7300Dを試されていて、
しかも他の、どんなに高級なアンプでも聴かせることのなかったアルゲリッチの「狂気」を、
その音に感じられている。
「音楽、オーディオ、人びと」は1982年に買って読んでいる。
もう35年前になる。
アルゲリッチは、そのあいだにさまざまなディスクを聴いてきている。
システムもいくつもの音で聴いてきている。
それでもまだアルゲリッチの「狂気」を、私はまだ聴けずにいる。