趣味のオーディオとしてのカタチ(その12)
車の運転自慢の男がいる、としよう。
彼にとって理想に近い車はポルシェだ、としておこう。
彼はポルシェの運転に自信をもっている。
たいへんな自信をもっている。
それだけでなく、他の車の運転も自慢する。
ポルシェ以外の車、
たとえばランボルギーニ、フェラーリ、アストンマーチン、ジャガー、
メルセデス・ベンツ、マクラーレンといった車だけでなく、
国産車でも、スポーツカー以外の車であっても、
彼はポルシェを運転する時と同じに運転し、
ポルシェと同じ走りを、他の車に要求する。
それぞれの車にそれぞれのよさがあり、
それを活かしてこその運転のはずだろうが、彼は違う。
彼はオーディオマニアでもある。
車の運転と同じに、スピーカーを鳴らす。
どんなスピーカーも、自宅で鳴らしているスピーカーと同じに鳴らす。
その音を自慢するし、
オーディオマニアのリスニングルームを訪ねていっては、
そういう鳴らし方を披露して、自慢する。
スピーカー鳴らしの達人とか、名人とか、自分のことを恥ずかしげもなく、そういう。
それを「自分の音」と、彼はいう。
たしかに、彼自身の音ではある。
どんなスピーカーをもってきても、その「自分の音」でしか鳴らせないのだから。
その「自分の音」とスピーカーとが、たまたまマッチすれば、
それはそれでいいのだが、そうそううまくいくものではない。
だから、自慢するのかもしれない。
言葉で相手を説得させるためにも必要となるからだ。
まるめた紙をアートだといい、デザインだ、といっている人となんら変らない。