Date: 9月 1st, 2017
Cate: 価値・付加価値
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「趣向を凝らす」の勘違い(その3)

1980年代にフィリップス・レーベルからでていた小澤征爾/ボストン交響楽団によるマーラー。
二番を、井上先生が試聴によく使われていた。

ピアニッシモのレベルは低かった、と記憶している。
そこが聴こえるぎりぎりで音量を設定すると、
フォルティシモではそうとうな音量になって、最初聴いた時は少々驚いた。

何度か聴いていても、
このダイナミックレンジは家庭で聴くには広すぎるな、と感じたし、
ちょっとボリュウムを大きめにしただけで、フォルティシモでは大きい、と感じていた。

岡先生が小澤征爾の「ローマの松」で、
ピアニッシモが物理的に小さな音、といわれている、
まさにマーラーにおいてもそうであって、
「ローマの松」を聴いていないから断言できないものの、
おそらく、マーラーのピアニッシモのほうが、物理的により小さな音であり、
フォルティシモは物理的により大きな音なのだろう。

ステレオサウンド 52号は1979年、
カラヤン盤も小澤盤も「ローマの松」はアナログ録音で、
小澤/ボストンのマーラーはデジタル録音、
しかも52号のころ、岡先生も黒田先生もLPで聴かれている。
小澤のマーラーはCDである。

優秀録音盤ということに、小澤のマーラーはなるわけだが、
私は、このマーラーを自分のリスニングルームで聴きたいとは思わなかった。

カラヤンのマーラーの二番はない。
もしカラヤンが二番をデジタル録音で残していたとしたら、
「ローマの松」と同じことがいえたのではないだろうか。

カラヤンはデジタル録音になっても、
ただ物理的に小さな音であるだけでなく、
心理的な意味でのピアニッシモであったと思う。

これはカラヤンの、さりげない趣向が凝らしかたといえるし、
カラヤンのピアニッシモは見事ともいえる。

岡先生は、こうもいわれている。
     *
 六〇年代後半から、レコードそしてレコーディングのクォリティが、年々急上昇してきているわけですが、そういった物理量で裏づけられている向上ぶりに対して、カラヤンは音楽の表現でこういうデリケートなところまで出せるぞと、身をもって範をたれてきている。指揮者は数多くいるけれど、そごて注意深く、計算されつくした演奏ができるひとは、ほかには見当りませんね。ぼくがカラヤンの録音は優れていると書いたり発言したりすると、オーディオマニアからよく不思議な顔をされるんだけど、フォルテでシンバルがとう鳴ったかというようなことばかりに気をとられて、デリカシーにみちた弱音といった面にあまり関心をしめさないんですね。これはたいへん残念に思います。
     *
さりげない趣向であっても、他の指揮者ができることでもない。

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